~ 神々しいはるちゃんに震える♡ ~
もちろんわたし自身は、「風俗」とは無縁の世界を生きてきた。
けれど
呉服屋だった実家の父が繁く出張していた京都での
舞妓さんやらお座敷やらの話を漏れ聞いては
そういう世界にずっと憧れてきたし、
近松門左衛門の『曽根崎心中』は
いつも枕元にあって
眠れない夜に何度読んだかわからない。
角田光代さんによる現代語版はページを開くとすぐ
あの時代の空気の中にすーっと溶け込んでいける。
すごくきもちがいい。
出だしから強烈な描写で始まるんだけれど☆
『セラピストのためのブログ講座』の最後の最後に
はるちゃんがこんなことを話してくれた。
奇しくも今日、はるちゃんもそのときのことをブログに書いています ☆
子宮委員長はるちゃんのブログ/『卑しい人になろうと思ったわけです。』
http://ameblo.jp/jj-haru/entry-12053398414.html
以下、はるちゃんのブログから一部抜粋です ☆↓↓↓
~・ ~・ ~・ ~・ ~・ ~・ ~・ ~・ ~・
人は生まれながらに半分の性を持っています。むしろ、半分の性“しか”持っていません。
それは、
求めることがあたりまえだということを
自然が教えてくれるようにも思えます。
わたしはよく、
「愛されたいと思うなら自分で自分を愛せ」
「満たされたいなら自分で自分を満たせ」
なんてことを最初は伝えていたと思います。
徹底的に、
自分を愛そうとしてみて
わかったことなのですが、
自分を満たそうとしてみて
わかったことなのですが、
根本的な飢えは変わらなかった。
そりゃそうだ。
だって人は生まれながらに
半分の性しか持ってない。
メスは穴を埋めるための何かを、
オスは納まるための何かを、
一生求めて生きるのが、
生命力だし、健康的だし、
きっと“セクシー”なのだと思います。
~・ ~・ ~・ ~・ ~・ ~・ ~・ ~・ ~・ 人は生まれながらに半分の性を持って。むし
わたしがはるちゃんに最初に魅かれた理由は
こういうところにあったんだった。
と、思い出して
目の前で躍動し、堂々と話すはるちゃんは
眩しくて神々しかった☆
自分で自分を愛すること
自分で自分を満たすこと
それは、ひとと相対するときの最低条件だけれど。
ひとり宇宙して
オマタカイロして
まずはなによりご自愛を。
自分の衝動を丁寧に
聴いてあげて満たしてあげて
ひとに向かえる
好きなわたしになれたとしても
最終的に満たされ切ることはないな…って
最近ずっと思ってた。
逆に満ちれば満ちるほど
与えたい
いやいや愛されたい
と思ってた。
一生求めて生きるのが、
生命力だし、健康的だし、
きっと“セクシー”なのだと思います。
ほんとうにそう思う。
性は生の原動力。
やっぱりわたしは、そう思うし、
ずっと求めて生きていきたい☆