⬛2025(令和7)年5月4日(日) 晴
千種区は、住環境、商業、自然、教育がバランスよく調和した区です。
道草と千種をかけて「みちくさ自転車さんぽ」のタイトルとし、千種区内で完結する探訪を企画しました。
吹上公園に8人の参加者に集まってもらいました。地元千種区の方もいらっしゃいますので、助けてもらいたいと思います。
吹上公園から市道鏡が池線を東に進み、城木町2交差点の次の道を左折します。ここから日泰寺まで四観音道を走ります。蛇行した細い道が旧道の趣を醸し出しています。
<四観音道説明板>
日泰寺の西側に千種区役所が設置した説明板があります。
四観音道は、名古屋城が築かれた時、城の鬼門を守る四方向にあった、
・甚目寺観音(あま市、597年創建)
・荒子観音(名古屋市中川区、729年創建)
・笠寺観音(名古屋市南区、733年創建)
・龍泉寺観音(名古屋市守山区、733年創建)
の4つの寺に通じる道のことです。
江戸時代にはこれら尾張四観音を歩いて巡る、四観音詣(しかんのんもうで)が庶民に人気がありました。
笠寺観音と龍泉寺観音を結ぶ道が千種区内に残っています。今回はその一部を走りました。
<覚王山日泰寺>
日泰寺に自転車を止め、境内を散策します。
日泰寺は、1904年(明治37年)に釈尊(お釈迦さま)の御真骨(仏舎利)を安置するために創建されました。仏教各派が輪番で管理を行う日本で唯一の超宗派の寺院です。
御真骨はタイ王国より拝受したことから、「日本」と「タイ(泰)王国」から一文字をとり「日泰寺」となりました。「覚王」は釈尊のことです。
この御真骨の真偽の程は分かりませんが、1898年、インド領から見つかったもので、多角的な考古学調査により、御真骨であることが立証されたと言われているようです。御真骨はインド政庁から仏教国であるタイ王室に寄贈され、タイ国国王ラーマ5世から日本に譲られ、分骨されました。この時、特定の宗派に祀るのではなく、日本の仏教徒がもれなくお参りできるお寺を建立するようにとタイ王国から依頼があり、候補地として京都、東京、静岡などがあがりましたが、最終的に名古屋が広大な土地や建築費用を寄付や譲渡で行うことで名古屋の地に決定しました。
<揚輝荘(北園、南園)>
日泰寺のすぐ東にある揚輝荘は、昭和初期に建設された、いとう呉服店(後の松坂屋百貨店)の初代社長である伊藤次郎左衛門祐民の別荘です。大正から昭和初期にかけ覚王山の丘陵地1万坪に、建物と庭園がつくられました。当時は、政財界、文化人だけでなく、留学生も含めた国際的な交流の場となっていました。名古屋市を代表する歴史的建造物として、市指定有形文化財に指定されています。
現在は複数のマンションが建設され、聴松閣(ちょうしょうかく)がある南園と北園に分断され、3千坪に縮小しました。
聴松閣は、昭和12年に迎賓館として建てられた洋館です。英国や中国等の様式を取り入れた各部屋のほか、地階には舞踏場や壁画があります。特出すべきは長さ170mの地下トンネルがあったことです。私は今年3月の公開日にトンネル入口を見学させてもらいましたが、個人でトンネルを造るなんて、とてつもない富豪だったんだな、と驚きました。
北庭園は、池を中心とした回遊式の庭園です。修学院離宮の千歳橋を模したといわれる白雲橋、尾張徳川家ゆかりの座敷に洋室を増築した伴華楼、伊藤家本宅から移築された三賞亭などの建物が残されています。
<四観音道道標>
四観音道は東山給水塔の敷地で寸断されていますが、その北側に明治時代に立てられたと伝えられる当時の道標が一基残っています。
石柱には「南 あつた かさでら」
「北 せと りゅうせんじ」
「東 やごと ひらばり」
「西 なごや かち川」などの字が刻まれています。
<千種公園>
千種公園には、昭和20年の空襲による弾痕を残す造兵廠の外塀の一部が移設保管されています。
銘板には次のように刻まれています。
「第二次大戦の末期、再度の名古屋空襲はこの地にあった名古屋陸軍造兵廠千種製造所に甚大な被害を与えた。この碑は、その爆撃による痕跡を残す外堀の一部を移設し戦争の記録として残したものである。 昭和六十二年一月 」
その横には慰霊碑が建立されています。
「ここに涙あり
されど
平和は永遠に
名古屋市長 杉戸清 書 」
さらに、民間戦災障害者の碑も建っていて、
「痛みを共有し、継承を
第二次世界大戦中、戦闘機のゼロ戦を生産するなど大軍需都市だった名古屋市は、60回以上の米軍の空襲を受け、街は焼き尽くされ、市民約8000人が死亡、それに劣らない数の人々が重軽傷を負った。
(中略)
大戦が終わって70年が過ぎようとしている。壊滅した名古屋の街は市民のたゆまぬ努力によって復興、目覚ましい発展を遂げ、今日では、日本を代表する大都市となった。
しかし、世界ではいまだに争いが絶えず、惨禍が繰り返されている。
名古屋市は、市民が再び戦火に巻き込まれることがないようにと願うとともに、空襲で体と心に癒えない傷を負った方々の長年の苦難に思いを寄せ、その痛みの記憶をここに刻む。
平成26年11月 名古屋市 」
と記されるとともに、炎上する名古屋駅と名古屋城の写真も載せられています。
今年は戦後80年の節目。戦争の歴史を知り、平和を祈りたいものです。
<水の歴史資料館>
自転車専用レーンのある道路を折り返し、東山給水塔の北東にある水の歴史資料館へ。
ここは、名古屋の上下水道の歴史や役割、防災について学べる資料館です。
屋外に展示されている「歴代マンホールのふた」は、なかなか壮観です。戦前のもの、コンクリート製のもの、世界デザイン博のもの、水道事業100周年のものなど多彩です。マンホールのふたは市町村ごとに特徴があるので、各地を訪れて写真を撮ったり、マンホールカードをコレクションしたりする人も結構いるようです。
名古屋市の水道は木曽川水系の水で、全国的にも美味しい水だと言われています。受付には給水器があって、冷えた「名水」を一杯いただきました。
<水の丘>
水の歴史資料館から800mほど北上すると鍋屋上野浄水場です。敷地の一角に水道公園「水の丘」があります。シンボルとして水瓶を持った女性のブロンズ像が設置されています。
ここから見える第1ポンプ所は、鍋屋上野浄水場が給水を開始した1914(大正3)年から運用された送水ポンプ所で、ヨーロッパ古典期の様式にバロック様式を組み合わせて造られた歴史ある建物です。
<平和公園アクアタワー>
丘陵地帯の坂道を、少々しんどい思いをしながら上り、平和公園の北側にあるアクアタワーへ。
1階の受付でアルミ缶入りの「名水」をもらいました。エレベーターで地上40mにある展望室に上ります。タワー自体が標高120mの場所にあるので眺望は抜群です。東の猿投山から南の東山スカイタワー、西の名古屋駅の高層ビル群・鈴鹿山脈まで、名古屋の観光スポットや近郊の山々などを一望することができます。ただ、北側は壁で見えないのが残念。
無料で、見晴らしがよい。名古屋でもかなりの穴場スポットと言えるでしょう。
平和公園ではメタセコイア広場による予定でしたが、ランチの時間が迫ってきましたのでパス。
猫が洞通を下り、広小路通にある「For You 本山店」に行きます。
オムライスとハンバーグの専門店で、ハワイをイメージしたちょっとお洒落な造りです。
私は下見のとき、『For Youオムライス』を食べたので、今日は『北海道クリームオムライス』にしました。ライスにコーンやジャガイモが混ざっていて、味付けもよかったです。
オムライスが税込み1,188円はちょっと高いように思いますが、スープとお茶がセルフサービスの飲み放題なので、適切な価格でしょう。
スープは、ビーフコンソメ、チキンコンソメ、中華スープの3種類で、お茶は、紅茶、ほうじ茶、煎茶、玄米茶、コーン茶と種類が豊富。私は中華スープとビーフコンソメスープを頂きました。こちらも美味しかったです。
テーブルと座席が狭かったのがマイナス点でした。
<末森城跡>
広小路通を西に進むと、城山八幡宮。
赤い鳥居の横に自転車を停め、階段を上ります。「織田家本城 末森城空堀跡」の案内板があって、空堀跡が城の姿をとどめています。末森城は、織田信長の父信秀が、天文16(1547)年西三河をめぐる今川・松平勢力との争いの渦中に、古渡城から居城を移したものです。標高が四十数メートルあるので、見晴らしがよいです。名古屋の市街地に中世の城跡が良好に残るのは貴重です。
末森城二の丸跡には、昭和3(1928)年に愛知県が青年の訓育施設として建設した「昭和塾堂」があります。現在は立入禁止となっていますが、その塔は地域のランドマークのような存在です。
<名古屋大仏(桃源寺)>
本山交差点から四谷通の坂を上ったところに桃源寺があります。この境内に鎮座しているのが名古屋大仏です。表通りからは見えないですが、その大きさと色に驚きます。
本尊10m、台座高さ5mと全長15mの大仏。青銅製で、全身は鮮やかなグリーンで彩られ、額のホクロ、目、唇、耳には金箔が施されています。
台座の周辺を僧侶と鹿や象が取り囲んでいる大仏というのも珍しいです。
大仏が建立されたのは1987年(昭和62年)ですが、当時はこのような色ではなく、2006年(平成18年)に行われた改修の際に全身真緑色になったとか。
ちなみに、奈良の大仏は、本尊14.98m、台座3.05m、高さ18.03m、鎌倉の大仏は、本尊11.31m、台座:2.05m、高さ13.36mですから、両大仏に匹敵する大きさと言えるでしょう。
<千代保稲荷神社名古屋支所>
「おちょぼさん」の愛称で知られる岐阜県海津市の千代保稲荷神社の名古屋支所が、名古屋大学の北側にひっそりとあります。
おちょぼさんは人気のある神社で訪れたことがあるという人もけっこういるでしょう。けれども、名古屋のおちょぼさんはあまり知られていません。本家のように串カツ屋とか土産物屋がある訳でなく、私たちが到着したときも人影はありませんでした。
名古屋支所は昭和27年(1952)年に名古屋の熱心な信者の願いで創建されたとのこと。
南側の道路に面した入口から本殿へと続く参道には幾本もの赤い鳥居が連なり、訪れる人を静寂の境内へと迎え入れくれます。都会の喧騒が消えたように感じられる空間です。境内には何種類かの桜があって隠れたお花見スポットですし、今は生垣のツツジが見ごろを迎えていました。
以上で立ち寄りスポットは終了。地下に名古屋高速が通る道を西進し、吹上公園に戻りました。
薫風の五月。天候に恵まれた自転車さんぽでした。
本日の探訪あいちで千種区のディスカバリーができましたでしょうか。何らかの発見をしていただければ幸いです。
【サイクリングコース】
吹上公園(午前8時45分) ⇒ 四観音道(説明板、道標)⇒ 覚王山日泰寺 ⇒ 揚輝荘(北園、南園)⇒ 千種公園 ⇒ 水の歴史資料館 ⇒ 水の歴史プロムナード ⇒ 水の丘(鍋屋上野浄水場)⇒ 平和公園アクアタワー ⇒ 平和公園メタセコイア広場 ⇒ 末森城跡 ⇒ 名古屋大仏(桃源寺)⇒ 千代保稲荷神社名古屋支所 ⇒ 吹上公園・解散(午後1時55分)
距離:20km
所要時間:5時間10分
【参加者】
トミカワさん、kuwanaさん、つくさん、所さん、イチローさん、鉄のGIOSさん、ラーメンさん、安城の岡本さん、幹事(まつぼっクリ) 計9人
★当日の写真は、愛知県サイクリング協会のホームページ➔「フォトギャラリー」➔「探訪あいち2025」➔「5月4日(日) みちくさ自転車さんぽ」を御覧ください。
https://hasirenai.com/photo-index2025.html