これら工業国は、痛ましい経験によって、農業は、多くの工業なくとも、大いに栄えかつ多数のものに豊饒と幸福とを与え得るけれども、しかも工業は、国内か国外かの農業経営者なくしては、一歩も前進し得るものではなく、従って、国内に利害を共にしかつ常に即刻確実の支払を受ける農業経営者を有つ代りに、遠隔地に利害を異にしかつ支払が確実には受けられぬそれを有つということは、愚挙不慎慮の骨頂であるということを、知るに至るであろう。その隣人の繁栄の増大が自らの破滅の接近の徴象であるという状態にあることほど、自由人にとり嫌悪に堪えぬ考えはあり得ない。しかもかかるものこそが、ヨオロッパの主要諸国がその穀物につきロシアやアメリカその他の諸国民に依存した場合に、これら諸国の置かれる状態なのである。英蘭の商業主義の如くに、それに対する何らの物理的必要なくして一国をかかる状態に陥れる主義は、諸国民の富に関する純粋な原則に基礎を置くものではあり得ないのである。
(『大きな領土を有つ国が、それが消費する以上の穀物を国内において栽培することなくして、その生活資料をよく確保されるということは、ほとんど不可能と思われる。それはまた、大きな価格の激変からも免れることは出来ないが、これは、この生産物過剰が不作の年の通常の不足に対しある大きな比率をとるのでない限り、かくも大きな社会の一部分を通じて激しい災厄を生じ、そしてしばしば大きな永続的不利益を伴うものである。』