科学的世界観の下に、そしてそういう科学的世界観とのみ自然科学の範疇は共軛的であることが出来たのだが、自然科学は、こういう意味での宗教批判に参加しなければならないように出来ているのである(反宗教運動[#「反宗教運動」に傍点]はそれの実践的形態である)。
自然科学は自分自身が世界観に於て占める位置のために、是非ともまず第一に宗教批判の形を取らねばならぬのであったが、併しそのためにもすでに、夫は単に自然科学の内側に止まることが出来ないのであって、何より先に自然科学と哲学との連帯を固めてかからねばならぬ。だが宗教――宗教的世界観――は人間の社会生活の利害によって規定されて初めて成り立っている社会的イデオロギーであった。だから之を批判するためには是非とも又自然科学は自分と社会科学[#「社会科学」に傍点]との連帯関係をも固めてかからねばならないわけである。
実際、宗教は、即ち宗教的世界観の――神学的――範疇体系は、必ずしも自然科学の範疇体系と直接[#「直接」に傍点]に衝突するとは限らないのであって、却って自然科学者こそややもすれば宗教的な世界観を持って見たがる傾向さえあるのである。
