日本の4つの端を歩いてつなぐ旅 -ON THE ROAD EDGES-  -16ページ目

日本の4つの端を歩いてつなぐ旅 -ON THE ROAD EDGES- 

2024年で15年目。31回の旅で本土最南端の鹿児島県佐多岬から最西端の神崎鼻を経て関門海峡を渡り安芸の宮島、天橋立、石見銀山や木曽路、松島を歩き、本州最後の県青森の八戸駅まで歩きました。

先週日曜日はJR相模線の下溝駅から橋本駅まで歩きました。埼玉県ときがわ町にある9番目の札所、慈光寺を目指して北上することになります。

 

 

この日歩いた区間は特に見るべきところもありません。枯れた田畑の間を抜け住宅街を歩き、工場や巨大な物流施設を見上げ北に向かいます。突き刺すような青い空が、一番の見どころかもしれません。

 

風の冷たかった土曜日、坂東三十三観音の第8番星谷寺を訪れました。

 

 

海老名駅から北に向けて歩いているとき、「桜田伝説」と書かれた碑がさみしげに枯れた原の中にポツンと立っているのを見つけました。まわりにはわずかばかり、花をお供えしたあとも残っていました。碑の裏側には、下のような物語が刻まれています。

 

-桜田伝説-

 座間高校西方の低地は「桜田」と呼ばれ、かつては沼地でした。 

 ここには悲しいお話が伝わっています。昔、渋谷高間という武士がおりました。早くに妻を亡くしましたが、その悲しみは愛児小桜姫によってなぐさめられていました。

 やがて、高間は松女という女を後妻とし、松女との間に小柳姫が生まれました。小桜姫と小柳姫は人もうらやむほどの仲むつまじさで二人は平和な日々を送っていました。

 こうして数年が過ぎた後、高間は仏教修行のため旅立つこととなりました。

 松女は実子の小柳姫を跡継ぎとするため、家来とはかり小桜姫を殺して桜田の沼に沈めてしまいました。これを知った小柳姫はひどく悲しみ、小桜姫と同じ沼に身を投げ死んでしまいました。

 この悪行を知った村人たちは松女を捕らえて、当時このそばを流れていた相模川の堤防が洪水のたびに壊れないようにするための人柱に立てると共に、亡くなった小桜姫を哀れみ、この地に桜を植え、碑をたてて霊をとむらったと伝えられています。

 その後、諸国修行から帰った高間は、ことの次第を知り、家族の霊を慰めるため龍源院を建てたということです。

 

ほほを打つ冷たい風、気持ちも少し温度が下がったようです。

 

 

第08番 妙法山 星谷寺

 

 

やわらかい2024からちょっといかつい2025に変わり二週間余り。快晴だった成人の日、坂東三十三観音第08番星谷寺を目指して愛甲石田駅から海老名駅まで歩きました。

 

 

今日は比較的暖かだった相模川沿いの道。枯芝の上でお父さんと一緒に凧揚げをする女の子、ご主人の投げたボールをちゃんと咥えて持ってくるかしこいワンコ、アップをするグループ。対岸を走る圏央道の高架ではトラックが隊列を組み、絶えずどこかへと荷を運んでいます。

 

冬枯れの景色の中、鶴巻温泉から愛甲石田駅まで歩きました。公園の大樹も青空の下で冬色の装い。

 

 

鶴巻温泉駅前には、鶴をモチーフにした街灯が並んでいました。

 

 

麺類が食べたいなと考えながら歩いていたので、ちゃんぽんに行き当たったのはラッキーでした。三が日のお昼時、この手のお店はめちゃくちゃ混みます。みんなおせちに飽きたのかな。