高倉和也の朝令暮改 -12ページ目

高倉和也の朝令暮改

お笑い芸人・高倉和也のブログです。

人が、何か新しい習慣を始めるとして、その今までしていなかった行動が習慣として定着するには、必ず何らかの見返りがある。

喫煙の習慣というのにはニコチンによる快の見返りがあるし、運動する習慣にはダイエットや健康という見返りがある。

要するに、何らかの利点や幸福感がなければ同じ行動を繰り返さないのだ。

ここ最近、僕もある一つの習慣が定着しつつある。

バイトが終わった帰り。最寄りのスーパーに寄ってからバスに乗る。

席には、座れたり座れなかったり。こればっかりは運である。

座ることができたなら、僕はさっと周囲を見渡す。

僕が座るのはだいたい後部座席だ。乗客の視線は前方か、あるいは手元。スマホアプリに集中している人も多い。

自分が乗客の死角に位置していることを確認し、僕はそっとスーパーの袋に手を突っ込む。

バスのエンジン音に合わせ、そっと包装を剥がすと、先ほど買ったそれをこっそりと口に運ぶ。

おまんじゅうである。

そう、最近の僕の習慣とは、帰りのバスでこっそりとおまんじゅうを食べることである。

最初は、ただ単純に早くおまんじゅうが食べたいだけだったのだが、そのうちだんだんとこっそり食べるスリルに取り憑かれてしまったのだ。

何故だろう、いつからか、食べることよりも人の目を盗むことに重きが置かれるようになってしまった。

ただの買い食いという行為が一転、アウトローな振る舞いへと変貌するのだ。僕はそう思っている。

難しいのは食べだすタイミングだ。満員の状態では流石に無理だが、空いてきたとしても、横方向の乗客がいるかぎり死角はなくならない。

降りるのを今か今かと待っているうちに、結局食べることが出来ないこともしばしばだ。そんな時はバスを降りてすぐ、歩きながら食べる。

歩きながらおまんじゅうを食べる25歳男性。

おそらく、この状況で女児に声をかけたりしたら通報されるだろう。僕の口はアンコでいっぱいなので心配はないが。

正直、毎日毎日甘いものを食べていることに一抹の不安を感じないではないが、もう習慣化してしまった以上しばらく辞めることはないだろう。

もし、バスの中でおまんじゅうをぱくつく僕を見たら、そっと視線を外していただければ幸いである。
ここ最近、家飲みを辞めた反動で今までと少しづつ食生活が変わってきている。

例えばここ最近、僕はほぼ毎日おまんじゅうを食べている。

バイト帰りに職場近くのスーパーに寄り、おまんじゅうを買って、帰りながら食べる。

別に以前も、甘いものが嫌いな訳ではなかったが、最近はちょっと病的なまでに糖分を求めてる気がする。

仕事終わりだけでなく仕事前も、職場の喫煙室でタバコを吸いながらマックスコーヒーを飲む。

休憩中も甘いコーヒー。気取ってブラックコーヒーを飲んでいた高校生の頃の記憶を塗りつぶすように飲んでいる。

なぜこんなに甘いものが欲しいのか。

考えられるのはやはり、酒に含まれていた糖質を補う為という仮説だ。

しかし、この仮説は必ずしも当たっていないかもしれない。

僕が家で飲んでいたのはウイスキーである。休みの日に結構早い時間から飲んでいたら、うっかり一瓶開けてしまい、このままでは人として終わってしまうと思い辞めたわけだ。

で、このウイスキー、蒸留酒であるため糖質がほとんど含まれない。

糖質補給のためでないとすると、なぜ僕はこんなにも糖分を求めるのか。

糖分が脳に回った時の幸福感とか、脳内麻薬の分泌という現象が、アルコールによる酔いの代替え行為となっているのだろうか。

こんなもんで代わりが効くとわかると、なんだか毎日飲んでた頃の自分がアホみたいに思えてくる。

酒の代わりと言えばもう一つ、さっきも少し触れたがコーヒーを飲む量も増えた。

仕事前や休憩中は甘いコーヒーだが、家で飲むのはブラックだ。常に甘ったるいコーヒーを飲んでいたら、いくら酒を辞めても今度は糖尿まっしぐらだろう。

酒を辞めて身体の感覚が敏感になったのか、前よりもコーヒーを飲んだ時の安らぎを強く感じるようになった。

その昔、イスラム教徒の間でコーヒーは、酔わない嗜好品として人気になったという。

酔わなければ嗜好品オッケーというのは、なんだか中途半端というか、生半可なベジタリアンが肉食えないから肉みたいな食感の料理食べるよ!っというのと似た軸がぶれてる印象があったのだが、今ではなんだか気持ちがわかる。

最近は節約も兼ねて、肉は鳥の胸肉しか食べてないので、このまま行くと気づいたら改宗してしまいそうである。

まあ、もともと無宗教な僕にとって、それはあり得ないことではあるけれども。

…ところで、メッカのある方向はどっちだったかな?
オバマ大統領が来日するということで、都内はめっきり警戒ムードである。

TPPに関する関税の交渉が、両国間の主な課題であるとされているが、本当にそうだろうか。

日本は韓国、中国、北朝鮮、アメリカはロシアと、関係の悪化する国との問題を抱えている今、今回の目的は日米同盟の確認、強化にこそあると思う。

正直、日本にとってはTPPなどどうでもよいのではないか。とりあえず参加の意欲はポーズとして見せて、交渉においては譲歩することなく、決裂して終了という結末になる気がする。

また、オバマ大統領は来日後、安部総理主催の晩餐会で銀座の寿司屋に行くそうだが、ここにもTPP交渉への布石がある気がする。

晩餐会で、寿司に舌鼓を打つオバマ大統領。

そこに、寿司屋の大将がおもむろに話しかける。

「どうです、オバマさん。お口に合いましたか」

「ああ、ニホンのスシは最高だよ!もう一つアカミを頂けるかな?」

「はい…」

「ありがとう。…!なんだ、このスシは!さっきのより味が落ちてるじゃないか!ヘイ、タイショウ!どういうことだ!不届きものめ!デアエ、デアエ!」

「落ち着いて下さい。ここは松の廊下じゃありませんよ。…実はねオバマさん、今出した寿司のネタとシャリは、先ほどの寿司とは違う産地のものを使っているんです。」

「オウ、サンチ!知っているぞ、ニホンの有名なラクゴカの名前だろ?」

「それは三枝です…今は文枝を襲名してますよ。最初に出した寿司は日本産の米と魚を使っています。しかし、先ほどの出した寿司に使ったのは米も魚もアメリカのものです。」

「ワオ!USA!こんなにも味が変わるものなのか!」

「…もし、関税が撤廃されれば、国産の食材を使う店も減るでしょうね。」

「オウ…。美味いスシが食べられなくなるのか…。」

「…赤身、食べますか?もちろん日本産です。」

「…頂こうか。」

…数日後、TPP交渉は、オバマ大統領の一声で中止された…。

…。

…。

…。

…んなわけないか。
最近、日本近海で珍しい深海魚がよく見つかっているらしい。

巨大なサメ、メガマウスや巨大イカ、ダイオウイカ。

そして、それに伴って目撃例が増えているのが、さかなクンである。

深海魚や珍しい海の生き物が見つかるたび、解説を求められるさかなクン。

しかも、テレビ出演の経験は十分あるのに、何故か毎回電話取材だけである。

そんな雑な扱いにもめげず、電話口でも全力で「ギョギョギョ!」と叫ぶ声に哀愁を感じてしまう。

恐らくそういう芸風がスタジオに呼ばれない一因かとも思うのだが。

しかし、深海魚というのはどれもこれも、なんだか変わった形をしているものだ。

口の中にもう一個口があるエイリアンみたいなやつや、身体が透明で内臓や脳が透けて見えるやつ。

正直、環境への適応の範囲を超えてやり過ぎな感じもする。

まあ、そもそも深海に住むような変わった奴らである。

きっと、奇抜な見た目してるオレカッコいいとでも思っているんだろう。

人間でも、10代の頃には奇抜な格好をして、あえて他の人が行かない場所で遊んだり、誰も聴いてないような音楽を聴いたりするものだ。

でも、みんな次第にそれを卒業し、まともな格好で、みんな知ってるメジャーな物に触れていく。個性はその中で発揮すればいいのだ。

中には卒業することなく、奇抜なまま成長していく人もいるが、そういう人はだんだん周りの人と疎遠になって行って、人間関係の暗い暗い深海へと潜って行く。

潜った先では周りにいるのは自分と同じ変わり者ばかり。だからなおさら個性を強めようと、もっと変わった人になっていく。

そんな人が、何かの拍子に明るい海の方に出て行くと、珍しがられてテレビで紹介されたりするのだ。

出始めのさかなクンなんかまさにそうである。

もっとも、別にさかなクンは人間関係に不安は抱えていないと思うが。
人の身体というのは、何万年という時間の中で進化を重ね、たどり着いたものだ。

それゆえ、身体に起こる症状というのは必ず何らかの理由があるものであり、必要なものである。

しかしそれでも、まだまだ人間は進化する必要があると感じる事がある。

先日、家でカレーを作った。

実は最近カレー作りにはまっていて、ルーを使いこそすれ、色々と工夫して作っている。

こだわりポイントの一つが、ニンニクを入れることだ。

僕はとにかくニンニクが好きだ。生のおろしニンニクも好きだし、火が通って甘みのあるニンニクも大好きである。

ということで、僕の作るカレーにもニンニクは必須だ。

丸ごと一個入れる。薄切りにして、ためらいなく鍋に投入する。

出来上がったカレーは凄まじくニンニクが効いている。ドラキュラも一口で昇天するレベルだ。

そんなカレーをばくばくと食べる僕。その日の僕ならヴァンパイアハンターになれただろう。

これが良くなかった。異変は翌日、身体に顕著に現れた。

おならが止まらないのである。次から次へと装填される気体の弾丸。怒涛のガス漏れ事故である。

まあ、前々からニンニクを沢山食べるとこういうことによくなっていた僕は、落ち着いて調べることにした。

こういう時はネット検索である。

Googleの検索ボックスに、おならをしながらおならと入力。

どうやら、ニンニクを消化、分解する際に大腸内で腐敗が起こり、ガスが発生する事が原因らしい…

いや、ちょっと待ってくれ。

皆さんご存知ですよね。今更突きつけられても困るかもしれませんが、ニンニクを食べた次の日のおならって臭いんですよ。

そのせいで、ただでさえ放屁する事へのリスクが高まるというのに、その上量まで増やしてしまうのが身体の構造のせいだなんてどういう事なのでしょうか?

人が社会的な生活を始めて数千年。

その中で、どこからおならを穢れたものとしてきたかは知りませんが、いい加減量くらいは減らせるようになってもいいじゃありませんか!

何故、社会的優位を保てる進化の可能性を捨ててしまうのでしょう!

これは未来の進化に期待するしかない!来たれ、おなら無臭人間!

…ふう、スッキリした(もちろん気持ちがです)。

人体の構造はまだまだ未熟だ。

この問題は遠い未来の子孫に期待する。

僕はその進化を促す為にも、今日もニンニクをたらふく食べるのである。