昼、諸手続きのために一旦帰宅。ちょっとのきっかけで涙が止まらなくなりそうで、とても職場からは連絡できないと思えたので。
「わんこさん亡くなったって聞いたら、みんな驚いてたでしょう?」
母にそう聞かれたけれど、わんこさんの話題は出せなかった。普段通りにとりつくろうのが精いっぱいだった。
獣医の先生と、市役所と、それから迷ったけど待ってはいられない火葬の依頼も。私の声はこんなに悲しい響きをすることもあるんだね。どこかひとごとのようにそんな風に思いながら報告や手続きを済ませ。泣きながら摂ろうとする食事は、なぜかどうしても食べられなかった。固くなったわんこさんの体に現実を知る。
午後の勤務も終えて、いつもなら心配で泣きそうになりながら急いだ帰り道も、今日からは小走りしなくていい。もうわんこさんは、永遠に穏やかな状態なのだから。
玄関のドアを開けたとたん、涙は決壊した。
わんこさんのかたわらには、黄色いかわいらしい花束。ローソクが灯りお線香が煙っている。
「花束、先生が持ってきてくれて、長いことわんこさんに向かって話してから帰ったよ。」母が伝えてくれます。
先生はわんこさんを「べっぴんさん」だと褒めてくれ、「だからのんちゃんが放っておかなかったよな。あいつはわんこさんに惚れていたから、今頃でぶっちょのおばさんと一緒にわんこさんの到着を待ちわびているぞ。」と言葉をかけていたのだそう。先生なりの、旅立ちへのはなむけの言葉。わんこさん、うれしかったよね。
「あの先生が、いったいどんな顔して花屋さんに入って、花束抱えて出てきたんだろうね?」
感謝の気持ちを込めた憎まれ口を、泣き顔で言いながら笑いあう、めちゃくちゃ。こんな時でも、やっぱりどこかに笑いをはさみたい。そういう家族だものね、わんこさんもよく知っているよね。
部屋に入ると、再び涙があふれ出す。仕事中は抑えられていた涙だけれど、一旦堰を切ったら、もう止められなかった。一人になれる場所ならどこでも涙があふれ、嗚咽が漏れ、しゃくりあげ、泣いた。
玄関のサークルの中で、わんこさんは眠るように横たわっている。
明日には、お別れだから。わんこさんを送るにふさわしいよう、少しは片つけてキレイにしなくてはね。
「ちょっと、片つけしておこうね。」
わんこさんに、話しかけながら。片つけは、簡単。元気な体を取り戻してその代わりに旅立っていったわんこさんには、もう介護用品はいらない。どんどん小さく替えたおちゃわんも、使いかけの薬も、食べかけて残したフードもみんなもういらない。倒れたあの日から、わんこさんと私たち二人三脚の…じゃないね、二人五脚の食事で使ったスプーンだけ、思い出にもらっておいた。
私は結局、わんこさんも看取れなかったな。そんな思いがよぎった。
以前に飼っていたワンコは、11歳の人生の途中で旅立った。彼女の乳腺腫の手術後、私はお世話をするどころか体調を崩し、家族の手を煩わせ、介護の人手を削った。約束した日に帰れずに、その日旅立った彼女を看取れなかった。あとから聞いたのは、いつも私が帰る頃の時間に一筋の涙を流し、その後永遠に目を閉じた、という話。約束を覚えていて、きちんと待っていてくれたんだよね。
あの時は果たせなかった約束、今回は果たせると思ってた。わんこさんを、看取ってあげられると思っていたよ。けれど私、また約束破っちゃった。わんこさん、待ってたよね。起きない私に、失望したでしょう?
不意に、声が聞こえた。
「うさぎに見送られなかったこと、私もこれから行く世界で、『どうして?』って聞かれると思うよ。きっと何度もね。でも、うさぎは次からがんばればそれでいいじゃない。」
頭の中に直接届く、メッセージ。それはわんこさんからのメッセージだと、すぐにわかった。私の口調と、よく似てる。そして、今住んでいる場所の言葉と引っ越し前に住んでいた地域の言葉が融合しきらずに、それぞれところどころに主張をみせる、二つの言葉が微妙なまぜこぜの話し方。そんな風には、他の誰も話さない。
ポカンとした表情で、おそらく口まで開けたままの私。声はそれ以上を語らなかったけれど、間違いなくわんこさんだ。
頭が痛くて仕方なく、夕食も食べられなかった。わんこさんの残したドリンクゼリーを一つもらい、飲んでから眠った。明日は朝から、わんこさんの火葬予約をしてある。穏やかな顔で眠っているみたいなのに、固く冷たくなってしまったわんこさんの体。いつまでもこのまま置いてはいられない。最後にきちんと送ってあげないとね。泣きながら、眠った。
