「大丈夫か?」
「ああ、平気だ。ちょっと煙草にむせた」
ジュリアンはもう一度大きく咳をした。
「アンドレも、君のスタッフも一緒?」
「一緒。エロディーとポリーヌも」
女二人の名前を聞いても、ディディエは顔を思い出せなかった。まあ、良い。どこかで会ったんだろう。クラブで過ごすなら、野郎ばかりより女が一緒だとそれだけ楽しい。
「今、どこにいるの?バトファー?」
「えーとね、どこだっけここは... NIX NOXか。来る?」
「うん、行くよ。まだロランさんのオフィスだからさ、後30分くらいでそっちに着くから」
後でなと言葉を残して、ジュリアンの電話は切れた。ディディエはサックを肩にかけると、ロランのオフィスの電気を切り、外に出る。扉に鍵をかけ、プジョーを止めた方向に歩きだした。
ディディエの車はヴァンサン・オリオル大通りを東に向けて走っていた。深夜のこの通りは空いていたから、すぐにベルシー橋までやってき、ドラガール河岸通りへと右折した。NIX NOXにほど近い路上に車を止めると、ディディエはサックをトランクにいれて、ロックした。セーヌ河を目指して通りを渡る。
NIX NOXは13区のセーヌ河上にある、ちょっと風変わりな店だった。船を改装して作られたクラブだから、岸から掛けられている細い橋を渡って中に入る。階下のダンスフロアに降りるといくつもの丸窓からは水面がとても近く見える。この階段の後ろがバーフロアになっているのだが、天井は低く、船内もあまり広くはない。音質もそういいわけではなかったのだが、ディディエはこのクラブが嫌いではなかった。入口を入って左側から甲板に出られ、ここではベンチに座って川風を受けながら煙草が吸えるし、ワインも飲める。
狭い橋を渡ろうとすると、黒人と白人の身体の大きな男に声をかけられた。腕にセキュリティと書かれた腕章をつけていた。
「こんばんは、ムッシュ。どちらにいらっしゃるんで?」
「NIX NOXですよ、この橋はそこへしか渡れないじゃないですか」
気分を害された黒人の男は、ディディエに合言葉を云えといった。毎晩違うDJが仕切ってこのクラブは営業される。客が予約しているか合言葉を知らないと、警備上中には入れなかった。
「御存じないと...」
白人のセキュリティが静かにいう。
「ちょっと待ってください。友人が中にいるので、確認をとりますから」
すぐにディディエはジュリアンに電話を掛けナマステというと、白人が渡れというように顎で促した。ディディエはおどけて両手を合わせそれに応える。橋を渡りきったところで声が上がった。男女のグループでやって来た男が中にいれろと騒いでいるのを見ながら、ディディエは船内に入った。