自分が驚いた顔をしていたのか、怖がった顔をしていたのかよくわからない。私を見ながら男はもう一度、寒い晩に薄着では風邪をひくからと繰り返した。礼をいって、ポケットの煙草を探すと男に差しだしたが、男は首を横に振り、煙草は吸わないと答えた。
「どこから来たの?パリ?観光で?」
「ここに住んでるの」
男はへえといいながら、私が何をしているのかを聞き、学生だとわかると自分もそうだといった。
「でもね、僕は学生だけでいるつもりはないんだ」
「仕事でもするの?」
「アフリカに行くんだよ」
いきなりコートを羽織らせたかと思えば、初めて会った女に向かって面白いことをいう。少し笑うとそれがタイミングとなって、男は話しをしだした。ポアティエから去年の秋にパリにやってきたこと。今は弟と二人で、5区のアパルトマンに住んでいること。あの地区を選んだのは大学が近いからという。パリ大学はいくつにも分かれているから自分が知らない分野のことは、略語や大学番号をいわれても、そこで何を勉強しているのか聞かないとわからない。男の大学はUPMCという略語で知られるパリ第6大学だった。理工学部の1年生だという。去年の秋にパリに来た一年生なら、二十歳前の男の子ではないか。
「ところでさ、君の名前は何ていうの?どこの国から来ているの?僕はマルタン」
「あつこよ、初めまして。日本人よ」
日本人は大好きなんだと笑う顔には、途端に幼さが戻る。初めましてといいながら、マルタンが両頬に挨拶のキスをしてきた。自分の子供と説明してもおかしくない年代の男に、君は素敵だと耳元で囁かれるとは思わなかったけれども、やはり悪い気はしなかった。
「あつこは誰かと一緒に来ているの?」
「いいえ、ひとりよ」
「そうだよね、ずっと見てたんだ、君のこと。階段から上がるの見てついてきたんだけど、トイレに行くからさ、ちょっと待ってたんだ」
私は煙草の火を消した。
「何か飲むかい?ご馳走するよ」
「いらないわ、すでにたくさん飲んでるの」
マルタンは不意に私を抱きしめた。あつこ、あつこと名前を呼ぶ。
「マルタン、どうしたの?具合悪いの?大丈夫?」
「僕と一緒にアフリカに行かないか?」
つづく