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wii / La farine

どうにもならないのに

 「この男は結婚しているのか」と私は思った。それならなおさらのこと、こうして屈託のない笑顔を初めて会った女によくも見せられるものである。そこへ、女の子二人が戻ってきた。ディディエにはインドネシア人の妻がいるというが、このグループにはアジア人はいない。二人はディディエと話している私を見て、にこやかに挨拶のキスをしてくる。これが先ほど影に隠れた私を嫌がった同じ人なのだろうか。ディディエは男を指さしながら、「彼はジュリアンというんだ。ジュリアン、彼女は日本人なんだよ。名前が、えーっと、...」と口ごもった。

「よしこよ」

「ヴォアラ(そうなんだよ)!」

 ジュリアンと呼ばれた男は、いぶかしそうに私を眺め、ディディエは変わらずに笑顔を見せたままである。ディディエはジュリアンと話し始めた。

 あつこは本名ではない。夜の盛り場で会う人はもう会わない人達だから、本当の名前など関係ない。よしこという名は好きではないから、自分を名付けた。まゆみやかおりでは、不意に呼ばれてもわからない。それで最後に子がつく名を選んだ。「君の名前、なんだっけ?」とジュリアンが聞いた。

「よしこよ」

「じゃあ、’よすこ’を囲んでみんなでシャンパーニュを飲もう」

 ジュリアンの発音に、私は笑った。

 バーカウンターの中で、音をたててボトルが開けられた。ダンスフロアではきらめくライトがくるくると回っているが、バーフロアでは光源を落とされたライトが安定している。人数分のプラスチックカップが用意され、シャンパーニュを注がれたカップを手渡された。何人一緒だったのかわからないが、カップを手にした人がこの輪の中の人なのだろう。「サンテ!」とジュリアンの掛け声で、皆で乾杯した。ディディエは変わらずに笑顔で私を見ている。そもそも誰かと一緒に酒を飲むのは久しぶりだった。それまで飲んでいたビールには酔うことがなく、張り詰めた気をならすため、そして何も考えずに踊るためだった。甘いシャンパーニュはあまり美味しくはなかったけれども、誰かと共に飲むそれは、十分に気がほぐれ、ディディエの質問に私は笑って答えて、何とはなしに二人で笑った。

 大きな声がして、人の塊が椅子や丸テーブルと一緒にバーカウンターにぶつかった。ディディエの後ろで、アンドレと呼ばれた男が別の男を両肩をつかみ何か叫んでいる。喧嘩が始まるのかと驚いた。呆れた風にディディエは「やめろよ」と声を掛けるだけで、中に割って入ろうとはしない。ジュリアンはカウンターの下に転がる椅子をぼんやり眺めているだけだった。この男たちは本当にグループで一緒に来ているのか、私はわからなくなった。


  つづく