放送作家の小野高義です

 

プロ野球は4月10日の開幕を断念して

早くても4月24日を目指す

と発表しましたね…

 

4月10日までに組まれていたのは17試合で

24日までとなると

さらに10試合以上が先延ばしになります。

 

どうやらオリンピックも今年はなさそうなので

そうなると

およそ一ヶ月間にわたって中断するはずだったペナントレースは

中断されないことになり

プロ野球としては

全日程を終えられるかもしれないという

不幸中の幸いがあったもんですが

 

今年、一番わりをくいそうなのは坂本勇人選手ではないでしょうか。

坂本選手は

現在まで1884安打

2000本安打

あと116本

 

これまでの最年少記録は

榎本喜八選手の持つ31歳7ヶ月と16日

 

坂本選手が達成するためには

7月29日までに達成すれば良く

去年の116安打目は7月30日

ということは

本来の日程であれば

開幕が早まっていたので

最年少記録の達成の可能性は非常に高かったのですが…

 

ここへ来て

30試合近く日程が遅れるとなると…

不可能ではないけれども

けっこうなハイペースが必要となります…

 

んー…

 

とはいえ

可能性

ないわけではないので

坂本選手、がんばって欲しいです。

 

  ◇

 

ところで

52年前にその最年少記録を打ち立てた

榎本喜八選手

もちろん

野球選手としては有名ですが…

 

王、長嶋、みたいな超スーパースター

ってわけではないにしても…

張本、野村、金田…という大記録保持者

というほどの記録はないにしても…

 

通算2314安打は

当時、川上哲治氏に次ぐ記録で

 

シーズン最多安打4回はイチローに次ぐパ・リーグ2位

通算二塁打記録も福本に次ぐパ・リーグ2位

 

残した成績はすさまじく

後に、スポーツジャーナリストの二宮清純氏が

通算1000イニング以上投げた往年の投手たちへ「最強打者は?」と質問したところ

最も多く返ってきた答えは榎本喜八

という逸話もあるほどで

 

それにしては

マニアックだし

知名度が低いなあ…っていう感じがしますよね。

 

ぼくも昭和の人間ですが

正直

榎本喜八選手のことはよく知らなくて

 

初めて知ったのは

三冠王、王貞治物語

の中で

 


 

王選手が早実グラウンドの打撃練習ですごい打球を放った時

見ていた人が

「あそこに打ち込んだのは、榎本さんと王しかいないぞ」

と言ってるシーンで

あーそんな選手がいたんだなー

と知ったくらいです。

 


 

 

 

で、気になったので

ちょっと調べてみると

いろんな意味で

すごい選手だったんですね。

 

  ◇

 

高校は早実で

王選手の4年先輩。

 

バットをめちゃくちゃ長く持ってフルスイングで引っ張るバッターで

当時の早実では

短く持ってコツコツという野球だったので

レギュラーを外されることもあったらしいですが

それでも

野球にはくそまじめで

王選手の師匠でOBの荒川博氏に

毎朝5時に起きて素振り500回しとけといわれて本当に毎日やった

それでも足りずに、練習が終わってからも500回振った

と言われてます。

 

合宿や遠征で部員がくつろいでいる時も

一人で牛骨でバットを磨いているという

水島新司のマンガに出てきそうなエピソードもありました。

 

プロ入りは意外にもテスト入団だったんですね。

 

それでも

高卒1年目からレギュラー入りして

1年目、2年目で最多四球

高卒1年目から

選球眼は異常なものがあったそうです。

 

  ◇

 

とにかく

自分の打撃を極めることへのこだわり方が尋常ではなく

合気道や居合いを習得し

トレーニングのことを「稽古」、バッティングフォームのことを「形」と言って

試合前に座禅を組んだりしてたそうです。

 

理想としているのは

「球界を代表するピッチャーの最も得意な球を完璧に打ち返す」ということで

フェンス直撃の当たりを打っても

「何でフェンスを越えないんだ」と塁上で首を傾げ、ずっと悩んでいたり

打撃が上手くいかずにいらいらした時には、家の中でバットを持って暴れたりした

らしいです。

このへん

なんか

前田智徳選手っぽくもありますよね。

 

でも、榎本選手はさらにもうちょっとイッちゃってる感じがあります。

 

打撃に何か活かせないかという理由で

猫の動きを勉強したり

水道の蛇口から出る水を2時間ほど見つめていたりしたこともあったそうです。

 

もはや梶原一騎のマンガ的ですね

 

  ◇

 

川上哲治氏の

「ボールが止まって見えた」

は有名ですが

榎本選手の方が

ある意味、高レベルというか高次元、異次元かもしれません。

 

1963年7月7日の阪急線で

米田哲也投手(通算350勝の大投手)と対戦した際

 

自分の身体の動きが寸分の狂いも無く認識でき

次はどのコースにどんな球が来るのか手に取るように分かる

 

という体験をしたそうです。

 

止まるどころか

どこに何が来るのか投げる前からわかったそうです。

超能力ですね…

 

この時期には

投手とのタイミングという概念が無用になるほどの極限の集中力を常に発揮出来た

 

という境地に達したとおっしゃってます。

 

本人曰く

「臍下丹田に、自分のバッティングフォームが映るようになったんです」

「ちょうどタライに張った水に、お月さんがきれいに映る感じ」

「寸分の狂いもなく、自分の姿が映って、どんなふうに動いているのかまでよくわかった」

「ボールがバットに当たった瞬間から、バットに乗っていくところもよくわかった」

「すると、どんなボールに対しても、自分の思い通りに打てちゃう。」

「この時期は相手とのタイミングがなくなったんですよ」

「最初からタイミングがないから、タイミングも狂わない。だから、打席で迷うこともなくなったんです」

「本当に夢を見てる状態で周りの動きがスローになった」

 

…ちょっと何言ってるかわかんないですね…

 

つまり

常人には見えない何かが見えて

その通りに体が動いてボールが勝手に当たるから

タイミングもへったくれもない

 

ってことなんでしょうけど

もはやオカルトの域です。

 

  ◇

 

引退後はこれほどの実績がありながら

コーチの職にも就かず

野球界から身を引いてたことも

知名度の低さに繋がっていると思います。

 

というのも

榎本選手の打撃技術は

伝えるには難しすぎたようで…

 

「臍下丹田に自分のバッティングフォームが映るようになると、ピッチャーとのタイミングがなくなってしまった」

「ピッチャーの投げたボールが、指先から離れた瞬間からはっきりわかる。こっちは余裕を持ってボールを待ち、余裕を持ってジャストミートすることが出来た。だからタイミングなんてない。最初からないから、タイミングが狂わない」

「26歳のとき、本筋でいくところまでいかしていただきました。本筋というのは、自分の脳裡に自分のバッティングの姿がよく映るんです。目でボールを見るんじゃなくて、臍下丹田でボールを捉えているから、どんな速い球でもゆるい球でも精神的にゆっくりバットを振っても間に合うんです。ちょうど夢を見ている状態で打ち終わる。その姿ははっきり脳裡に映っていながら、打ち終わるとスッと夢から覚めて我にかえって走りだす、そのようなところまでいかせていただきました」

 

こんな何言ってるかわかんないかんじで

自分の打撃を語るから

 

後輩の指導も

こんな感じだったので

 

ちょっと何言ってるかわかんないです

みたいな感じ

だったようです。

 

また、選手としての晩年は奇行も目立ち

 

選手として衰えが出始めたころ

二軍降格となって納得がいかず

猟銃を持って立てこもって威嚇発砲した

という事件も起こしているそうです。

 

くそまじめで神経が繊細だったが故に

自分を突き詰めすぎて

体と心に限界が来るのも早かったみたいです。

 

王選手と榎本選手の師匠

荒川博氏は

「榎本は真面目だから、首位打者を獲得してからも、さらに突き詰めようとした。王もよく練習したが、その突き詰め方は違った。王は運よくホームランになれば喜んだが、榎本はホームランになっても、こう打てばもっとよかったと考える。技術的には王よりも榎本のほうが上だった。しかし、榎本は極めようとしすぎたのだろう。精神的に大変な状態になった。その点、王は適当にサボることを知っていた。突き詰めた先に、ゆとりや遊びが生まれた。この点が、世界一のホームラン王になれた王と、そうでなかった榎本の違いではないだろうか」

と言ってます。

 

もうちょっとおおらかな神経だったら

もっともっととんでもない記録を残していたかもしれない…

 

けど

 

それほどまでの求道者だからこそ

不滅の最年少記録と数々の伝説は生まれた

のかもしれません。

 

いずれにしろ

そんなとんでもない人物の持つ記録に

坂本選手

どこまで迫れるのか?

 

プロ野球はいつ開幕するのか!?

 

それではきょうはこのへんで

小野高義でした