10年前の今日は浮間舟渡のCOMBAT GUITARSに行こうとしていて、池袋で埼京線に乗り換えるため地下改札階に下りたところで大きな揺れに見舞われました。

地震直後は電話が通じましたが、その後すぐにどこにも繋がらなくなって、電車も動かなくなったので山手通りをとにかく家の方角に向かって歩きました。

当時はまだスマホでなくガラケーだったので被災地がどうなっているのかも判らず、ただひたすらに歩いていました。

ソフトケースに入れたギター(青いST WARM)を背負って、手にはCOMBATに差し入れるつもりだったお菓子の紙袋を持って。

それでスーツで革靴で。

まだ東北沿岸部がどんな悲惨な事態に直面していたかも知らずに。

歩いていました。

何時間も何時間もかけて帰宅して、ようやく災害の全容が判りました。

何と云うことだ。

テレビで放映された番組で被災された方が発した「地獄だ」の言葉が長く心に留まりました。

そしてその後の東京電力福島第一原子力発電所事故の報を受け、大きな不安と疑心暗鬼に長く苛まれました。

ワタシがアメブロを始めてすぐの頃だったので、ブログ記事を通じて色々な方とやり取りをすることが出来ました。

勇気づけるどころか自分が勇気づけられました。

当時のブログを見るとあの頃の自分の気持ちが蘇って参ります。

あれから10年。

自分は何が出来たのだろうか、何かお役に立てたのだろうかと思い至ります。

福島県相馬市には何度か行ってソロライブもやらせてもらいました。

そこで楽しい時間を作るのにお役に立てたくらいかな。

十把一絡げに被災者とか云うけれど、人はそれぞれで、同じ災害に遭ってもそれは変わらずに人それぞれで。

楽しみたい人もいるし、そうでない人もいるし、打開したい人もいるし、現状維持で良い人もいるし、決めた人も迷った人も、そしてそう云うことの狭間にいてどちらでもあってどちらでもない人もいる。

これは皆同じで。

今のコロナ禍の時代もやはり同じであって。

包括的な対策は絶対に必要だけど、希望とか絆とかで一括りにするのは如何なものかと思うのです。

それぞれでいいでしょ。

だから御縁がなかったらごめんなさい。

でも御縁があったらこれからもずっとお役に立たせてください。

自分が出来ることはやります。

無理せず行きましょう。

まとまりのない文章ですがご容赦ください。

最後になりましたが、震災の被害で亡くなられた全ての方々のご冥福を改めて心からお祈り致します。