Stormbringer
Deep Purple
急にディープ・パープルの話を始めてすみません。
それもどちらかと云うと発表当時不評だったこのアルバム。
ワタシ長年勘違いをしておりまして。
ディープ・パープルにデヴィッド・カヴァーディルとグレン・ヒューズが加入して最初のアルバムがこちらだと思っていたのです。
最初は『Burn(邦題:紫の炎)』なんですね。
次にこれなのか、そうなのか。
この『Stormbringer(邦題:嵐の使者)』のヒジョーに丁寧な演奏とスンゲー雑な演奏が同居している感じが何となく初々しいと思ったのが実はリッチー・ブラックモア脱退直前のバラバラさだったとはああ勘違い。
アルバムを通して感じるのはデヴィッド・カヴァーディルの怖ろしい程の完成度。
この後のホワイトスネイクがちょっと薄味に思える程のこってり濃厚豚骨スープ唱法。
グレン・ヒューズのヴォーカルも濃厚な上に激辛ですが後味はすっきりでとてもテクニックを凝らしているのに何故か印象が薄いと云うそんなお店がありますよねどことは云いませんが。
さてリッチー・ブラックモアです。
実はワタシはもう最近5曲目(B面1曲目)の「Lady Doubule Dealer(邦題:嵐の女)」ばっかり聴いておるのです。
この曲にリッチー・ブラックモアの美点がたっぷりと詰まっておるのですがプレイ自体は雑です。
いや雑なのはリードギターとかオブリのダビングしたパートですね。
ベーシックはホントにスゴイと思うのです。
8分音符でミュートして6弦をごんごんごんごんと弾くだけのこのバッキングが絶対的にリッチーでブラックモアなんですよホントに。
このごんごんごんごんにベースのごんごんごんごん(オクターブ下)とイアン・ペイスのどんたんどんたんどんたどんどたんが合わさったビートこそが貴方やワタシが好きなディープ・パープルではありませんかそうではないですか正直に答えなさい貴方はどうですかほれほれ。
今こうしてCDとかmp3でPCとかで小さな音量で聴くと意図したグラマラスな迫力感は霧消して骨組みだけを見ているような廃墟感もあるのですがそれでもこの時代の骨組みは強靱でクリアでスバラシイ。
そしてリードパート、歌1番のオブリはともかく2番3番のオブリは集中力がどんどんなくなると云うか何と云うかこう漲っていない感じが致します。
しかしこれがまた何度も何度も聴いているとどんどん愛しくなってくるのです。
良いなぁリッチーは。
そしてデヴィッドとグレンがきゃーと叫んだ後を受けるリードギター。
このリードギター、何とかしようと奮闘はしているけどどうにもならなかった、まあそこそこ迫力もあるからこれでイイかじゃあもう帰ろうっと、ってな諦観と悟りすら感じられる雑さであまりにも愛しい。
こんなこと書いてるとリッチーのファンに怒られそうなので先に謝っておきますすみません。
でもこのストラトをマーシャルに繋いだだけみたいな原始人が宇宙旅行に行っちゃった的なシャープなギターのトーンはアームユニットがネジで留めてあるのをアームで無理矢理ごりごり動かしてボディーの木も裏のスプリングもぎしぎし云っているのが全部判るくらいクリアで破壊的で愛が深くて〇〇〇〇で本当にスゴイ。
エンディングのギターはもう放り投げちゃったくらいの尻切れトンボでディレイで何となくトリートメントしているのにも胸キュン。
美辞麗句も罵詈雑言も全て引き受けるリッチーのギターの懐の豊かさ。
リッチーはやっぱりスバラシイ。
そしてこの曲にはジョン・ロードが殆ど参加していないと云う潔さ(他の曲はシンセもクラビもたっぷり弾いております)。
エンディングの最後にグリスダウンするベースのトーンの充実感。
このアルバムと云うより「Lady Doubule Dealer」1曲を何度も何度も何度も繰り返し聴いております。
この自分がハマる感じは何かに似ている。
食べ物だと岡山『だてそば』のカツ丼か福岡『牧のうどん』の肉うどんか。
天丼とかカレーとかとはまた違うハマり方。
暫くはこの誰とも共有出来そうもない感覚に浸って過ごします。