長文です、すみません。
何年か前にこのブログに帰ってきたウルトラマンのDVDの感想など書いておりました。
Vol.4までで止まっちゃっていますが。
今それを改めて読んでみますと。
自分の気持ちをまとめようとして、却ってとっ散らかってしまった感アリ。
でも今も殆ど同じ気持ちです。
帰ってきたウルトラマンが好きで好きでスキスキスーなんですが。
見直してみるとやっぱり気持ちがモヤモヤしたり。
ひどい時には吐きそうになる。
52歳のじじいがウルトラマン見て吐きそうなんて平和ボケの頭パッパラパーですけどね。
いいんだよ子供の頃からあだ名がじじいだったから。
そっちじゃないか。
まあいいか。
で、しばらくウルトラマンの事も書いていなかったんですが。
最近突然にFacebook記事で帰ってきたウルトラマン第33話「怪獣使いと少年」が話題になって。
(話題の元は無断引用を含む記事だったのでなんともはやでしたが)
久しぶりにその33話が含まれるDVD Vol.9を見直してみました。
 

 
第33話「怪獣使いと少年」は初放映の1971年当時から問題になった作品。
あらすじなどはネットに多数掲載されておりますので検索してみてください。
(でもって以降ネタバレを含む文章です)
番組冒頭からイヤーなトーンで観る者にプレッシャーを与え続ける映像の連続。
とにかく雨が降っていて。
雨が冷たそうで。
息が詰まりそう。
途中で「だってうちパン屋だもん(劇中台詞より)」と明るく云われても全く救われない。
だけど当時9歳の子供だった自分はどうだったか。
この問題作を見てどう思ったのか。
白状しますと。
巨大魚怪獣ムルチの造形がカッコイイと思った。
殆どそれだけです。
第32話のキングマイマイもカッコ良かったけど。
ムルチ、カッコイイなー。
鳴き声もなかなかイイじゃん。
この作品で後に語られる差別問題なんて最初はわからなかった。
この第33話はこうしてビデオでもDVDでも残っているから俎上に乗るだけで。
当時もっと過激な表現がテレビでも何でも色々あったと思うのです。
時代劇でも西部劇でも映画でもなんでも人がどんどん死んで行く。
だから特別に残酷で突出した演出やシーンだとは思わなかった。
逆に少年の泣き方が嘘泣きっぽいと思い興醒めしてしてしまった。
そんなところですか。
「日本人は美しい花を作る手を持ちながら~(劇中台詞より)」と云う伊吹隊長の台詞。
これはこう云われなくても周囲にそう云う人がいっぱいいたのでわかっていた。
それまで仲良くしていたのに、ある日突然無視される。
表向きは仲良くしているのに、裏では悪口を云われている。
子供でも、大人でも、いっぱいいた。
それは肌触りとして9歳の自分にもわかった。
でもリアルであってリアルではなかった。
私にとってリアルだったのは怪獣の造形、鳴き声、立ち振る舞い。
そっちだったな。
関係ないかも知れませんが。
後にウルトラマンエース第7話にムルチが何の脈略もなく登場して。
わざわざ超獣ドラゴリーをしてその口を引き裂かれるシーンを見た時。
私には「怪獣使いと少年」よりも明確な悪意を感じたものです。
それほどまでにして「怪獣使いと少年」を貶めたいか。
逆にムルチでも出しておきゃイイじゃんくらいの配慮のなさか。
私が「怪獣使いと少年」の違和感をはっきり感じたのは10歳のその時でした。
でも私はストーリーよりも何よりも、まず怪獣だった。
フランク・ザッパに客が"Shut up and play your guitar"と云ったように。
(歌なんかいいからもっとギターを弾いてくれよ、の意)
ストーリーはイイからもっとカッコイイ怪獣をいっぱい出してくれよ。
私の気持ちはそれでした。
ウルトラセブンが宇宙に帰った時は一緒に泣いて送ったのに。
小学生の私の方が幼稚だった気もします。
実際今でも幼稚ですけどね。
自分が幼稚なのをこうやって書いて免罪符にするつもりも開き直るつもりもありませんが。
ここ暫くこんな事ばっかり考えていて頭グルグルモヤモヤなので書き散らかしています。
書いたらスッキリするのかしらん。
あー。
スッキリ。
しないなー。
すみません。
差別とか偏見とかヘイトとか憎しみとか世界にはいっぱいあって。
それは人間が生物である以上は完全に消えてなくなったりはしないと思います。
それを各自がセルフコントロールして新しい世界にバトンタッチして行こうと云う努力。
そうした意欲。
それを作るのが教育とか文化とかの役割じゃないかと思うのです。
ウルトラマンは私に教えてはくれない。
だけどウルトラマンは私に考えるきっかけをくれた。
私がウルトラマンを好きなのはそう云う理由があるからです。
これからもウルトラマンを心の中で大事にしていきたいと思います。
第34話以降の事はまた改めて書きます。
そちらも大事なので。