今日は少し時間があったので、鳴門の小鳴門橋周辺を散策しました。
この小鳴門橋は、1961年に開通した橋で、鳴門市街地側から渡ると大毛島に行くことができます。
そして、橋を走っていると目に入るのが、『三ツ石山』です。 ピラミッド型の山で、両端には左右反転のように、小山を配している美しい山です
←奥に見える山が、三ツ石山(標高174m)
橋を渡ると、すぐの信号を左折して坂を下り、橋の下を潜る脇道に入ってみました。
海岸線沿いの、とても狭い道ですが、そこからの眺めは、なかなか良いです
←中央の小島、『鍋島』に吊橋の主塔が設けられいます。1960年に市と県が買収したとか。
そして、海とは反対側の山側を見ると。。。何やら古そうな墓石を発見
中央の石に刻まれた年号をみると、『寛永17年2月14日』とありました。 江戸時代に入って37年目辺り、西暦で言うと1640年です 全部の墓石がその年に建てられたとは、言い難いですが。。。
←右側の五輪塔が誰の為の何なのかは
でも。。。
この時代にリンクしているのが、すぐ近くにある『法勝寺』の謂れです。資料によると。。。
慶長11年(1606年)に、今の南あわじ市松帆檪田にある『日光寺』のお坊さん源竺(げんじく)さんが、弟子の閑空(かんくう)さんを連れて四国遍路した時の話しなんですが、この遍路の切欠となったのが、源竺坊さんが見た聖徳太子の夢だったそうです。。。夢の中で、聖徳太子は観音様を彼に授けました。 源竺さんは、その観音様と共に巡礼に行くべきだと、後に悟ったようです。
遍路を終えて、淡路に戻ろうとした時、大シケの為、ここ『三ツ石』で約1週間ほど留まることになったそうです。
その時、観音様から『多くの人を助ける為に、ここに留まりなさい!』っとお告げがあり、ここに『法勝寺』を建て、弟子の閑空さんを住職にしたようです。 因みに、源竺さんは無事に日光寺に戻ったそうです
この話しが1606年ごろ。。。そして先ほどの五輪塔横の墓石の日付が1640年ごろ。。。 あまり時代の隔たりが無いので、ひょっとしたら、厨子の観音様と何か関係でもあるのではっ
すぐ近くの『法勝寺』に行って、住職に話しを聞けば教えてくれそうですが、それは次回の楽しみにして、小鳴門橋を渡って戻ることにしました
←鳴門競艇場前にある墓地。奥の鉄橋は高速道の鳴門淡路自動車道。
橋を渡るとすぐ、鳴門競艇場の入り口があるのですが、その真ん前に、結構古い墓地があります。
お盆ですので、少しこの墓地を散策してみました
この周辺は、『大桑島』と言う地名で、名前の如く、昔は島だったそうです。そしてこの墓地は、『濘岩(すべりいわ)』と言う標高60mほどの小山の北側に位置していますが、実際、山の斜面を見ると全てが1つの巨大岩のようですぅ~ 凄すぎるぅ~
←鳴門大桑島の『濘岩(すべりいわ)』 たぶん山全体が岩
凄いっ
今回の散策では、新たな宿題ができました。
1つ、三ツ石の頂上はハゲヤマらしいので、そこまで登ってみる
2つ、その途中、中腹ぐらいに神社があるので、その調査をする
3つ、謂れの残る『法勝寺』に行って、できれば住職に話しを聞いてみる
4つ、その『法勝寺』には、謂れの後、海から石3つが現れたとあるので、それを見せてもらう
そんな感じでしょうか。。。少し楽しみです 下に地図をアップします。クリックすると別ページでGoogleMapに飛びます