今日は、お盆最後の日曜日。
以前から約束していた、パワ友のWさんと、研究家のIさんの3人で徳島県つるぎ町にある端山エリアを散策しました。
まず出向いたのは、WさんとIさん両方に、ご関係のあるOさんのご自宅に。。。残念ながらそのOさんは今年お亡くなりになり、初盆の供養となりました。
←そのOさんの家の庭からは、左に吉良発電所、真中に吉良の家々、右側の麓に東福寺の屋根が見えます
次に向かったのは、東福寺。 昔はこの端山エリアには18ヶ所もお寺があったようですが、今はこの東福寺と西福寺しか現在は、残っていません。
←東福寺の重厚な山門と、その左右には立派な仁王様がおられます
そして、今日のメインでもある『忌部神社』、別名『御所神社』に行きました。
徳島には、この『忌部神社』と名の付く神社は他にもあるのですが、どれが本家なのか。。。今も『本宮忌部』についてはのようです。
←吉良の『忌部神社』 鳥居はモロダという非常に腐りにくい木材を使用
←その『忌部神社』にある狛犬。 フォルムが超イケテル、ののちゃん好みです
次に向かったのは、端山の川見エリアにある『幣立の岩』と『川見堂』。。。地図を見ながら山道をでくねくね。
結局、間違って民家の庭に入ってしまい、その民家のご主人に場所を尋ねてみると。。。すぐ隣の敷地に両方ともありました
この川見地区は、川のすぐ側にあるイメージですが、友内山の中腹、標高500m位の場所にあります。
←『幣立の岩』
この『幣立の岩』は、古代の神話、山幸彦に関わる謂れのある岩です。
因みに、ののちゃんがこの岩にを当てていると。。。研究家のIさんも手を当てて一言。。。「何も伝わってこない
何だこの岩は。」っと呟いていました
っと言うことで。。。Iさんのに、ののちゃんの
を当ててみると、何かチクチクしてきて恐くなり、手を離してしまいました。 研究家のIさん、こんな能力をお持ちだったとは恐るべし
←踊り念仏が開催される『川見堂』
その岩のすぐ近くには、毎年8月14日の夜(今夜)、踊り念仏をする『川見堂』がありました。
まだ午前中なので、お堂には誰もいません。。。
このようなお堂が、この端山地区には、結構有るみたいです。
次に行ったのは、『川見堂』の道をで、さらに10分くらい登った所にある『友内神社』に行ってきました。
ここは霊山である友内山(忌部山)の山頂を御神体として、その拝殿のみが建てられていた場所でしたが、現在は山頂の本殿もここに遷しているそうです。
←『友内神社』
この神社の周辺には、古代神話の謂れが残る浮島と滝があるはずなので、それを探しに散策しましたが。。。結局、見つからず、とりあえず友内山の山頂近くまでで行ってみることにしました。
←右奥に見える友内山(標高1073m) 別名として、忌部山、木綿麻山などがある。
たぶん前回の台風の影響で、山道のいたる所で、小規模な崖崩れや、側道の崩壊などがありました。
とりあえず道がある所まで、で行きましたが、友内山の山頂は遥か遠くに見えてました。。。
を降りて、終点でパワ友Wさんが山頂に向かって鐘を鳴らして
今、来た山道を降りることにしました。
←ニニギノミコトが御立ちになった謂れが残る岩盤島『浮島』。
再度、『友内神社』を少し過ぎた一つ目の小橋近くまで下山
地図では、神社から一つ目の小橋を基準に岩盤島と滝の案内があるのですが、間違っていたようで、2つ目の小橋を基準にすれば。。。発見できました 『浮島』と『チチブシャの滝』を
まず、岩盤島『浮島』は、実際には浮いてはいませんでした 側道下がえぐられている山道を
で通る時の方が浮いている感はありましたが
川底の岩盤に、自然によってできた溝に、水が流れる感じが浮島なのでしょう
この浮島から数十メートル下流に、『チチブシャの滝』がありましたぁ~ でも滝の上なので、下を見下ろすとってな恐怖感を味わえます
この滝の落差は、15mぐらい。 Iさんを待たせるのも悪いので、今日は滝行はしませんでした
←『チチブシャの滝』。別名『くしふる滝』とも言う。
友内山を下山した3人は、吉良発電所に戻ってきました
この発電所は大正14年(1924年)に完成した徳島県内で3番目に古いもので、パワ友のWさんのお爺様の会社が運営したいたとか。。。 今は四国電力に吸収合併されています。
原発のような大きな施設とちがって、とても山の高低差を利用したシンプルな発電所。最大出力は2700kwのようです。
今後のクリーンエネルギーとして、また見直される日がくるかもしれませんね
←吉良発電所。昭和50年まで美馬水力電気㈱として全国的にも珍しい独立した電気事業者でした。
発電所の簡単な見学を終えた頃、時刻はすでにお昼時をとっくに過ぎていました。
そろそろ帰る時間だったので、途中、うどん屋によって帰ることに。。。
因みに、Wさんは深夜に南九州へ1泊3日の強行家族旅行を予定されていたので、僕、ののちゃんが帰り道、運転させていただきました
みんなと別れた後、どうしても満月の『踊り念仏』が気になっていたので、僕、ののちゃんだけ、『川見堂』に戻ることにしました
夕方18時過ぎに、お堂に到着。。。地元の人々より、結構、カメラマンや記者の姿が多かったのがってな感じでした。
←お堂で、お経をとなえる川見の人々。 この『川見の踊り念仏』は、徳島県の無形文化財にもなっています。
←それを撮影しているカメラマン達も、耀いてるネっ
そうこうしていると。。。 あの青木夫妻と鳴門東林院の副住職様のお姿が
大変、忙しい中、パワ友のWさんのメールに興味を持たれて、見に来たとのこと。
少し蒸し暑かったので、僕、ののちゃんの車に沢山積んでいたウチワをみなさんに、配って差し上げました。
だんだんと、辺りも暗くなり、お堂の照明の下では、円陣をつくって、「ナムアミドーヤ」を3回唱え、「ナモーデ、ナモーデ」と掛声を言いながら、右左に大きく1回跳ぶ踊り念仏を繰返しておりました。
←川見堂では、男性だけがハチマキをして踊っていました。
昔はこの川見地区だけでなく、いたる所であったお盆の行事だったようです。 できれば、途絶えた所でも再開してもらいたい風習です