今日は、ブーちゃんや義理の姉、そして甥っ子の4人でインドカレー『マサラ』に食べに行きました。
その後少し時間が空いたので、僕だけ鳴門の城山へ行ってみました。
鳴門在住の人でも『城山』と聞くと、『妙見山』などを思い浮かべそうですが。。。
今日、お邪魔したのは、鳴門市木津にある城山。もともと『木津(きづ)城』と呼ばれていたらしいです。
←公園の階段を登っていくと。。。
行ってみると標識など何も無いし、整備された無名の公園が城山の西側にあるだけ。。。
さすが、山の頂上まで登ろうと考えましたが、獣道すら見当たらなかったので諦めました。
昔、この公園の整備事業で少し仕事に参加する予定だったので、この城山の存在は知っていました。
この辺りは古墳が多く、北側には鳴門市の火葬場。。。南側には、JR教会前駅っと名前が付くほどの天理教大教会があります。
国道バイパスや鳴門インターチェンジもすぐ脇にあるので、徳島県人ならこの付近を知らぬ間に通っていることと思われます。
←公園には、人影もなく。。。
ネットでいろいろ調べると。
三好氏の家臣であった篠原長房の弟、篠原肥前守自遁によって、1558年~1570年に築かれたもよう。
1577年に三好長治が細川真之に敗北すると、長治の実弟の十河存保が、徳島最大の城であった勝瑞城に入場。
しかし、1582年に長宗我部氏に三好氏が敗れ、織田信長が本能寺の変で倒れると、自遁は淡路へ逃れたらしいです
長宗我部元親は、この城を重要な拠点として、桑野城の城主、東条関之兵衛にしばらく守らせたましたが、1585年に羽柴秀吉による四国征伐で、結局は落城。。。そして現在。
いろいろ調べると勉強になります。。。
明日は朝4時起きで、滝行に行く予定です