お昼ご飯の後、義理の姉が以前から行きたかった、三好長治の所縁の史跡へ、お散歩気分で一緒に行ってきました。
←徳島の松茂町豊岡にある『三好長治終焉の地』行ってみると、以前、僕がお昼寝をしていた空き地の裏側にあったことに気付かされ、チョッとビックリ
上の写真の建物の奥は、すぐ紀伊水道の海岸で、波の音がよく聞こえてきました。
←史跡の案内板。三好長治は、25歳で殉死したお殿様です。
父の義賢が戦死した時は、彼はわずか9歳だったので、国政の殆どを家臣の篠原長房に任せていたようです。
僕の受けた長治の印象は、早くして父を戦死で亡くした彼は、長房を軸に、名目上の阿波三好家のお殿様でしかなかったようです。
教養や遊びにも恵まれ、何不自由なく過ごした彼にとって、成人になるにつれ、長房などの老家来が目障りに思えて、仕方なかったようです。
いつしか、周辺の声に逆らう気性の激しい彼に、心から仕える家来や兄弟もだんだんと減り、ついに長治は、家臣の長房を滅ぼします。
長治は、罪のない民衆を残忍な方法で殺したり、宗教を強制改宗させたりと、いまいち彼の現存する評判は良くありませんが、
『父の義賢のように成りたい!父を越えたい!』と思う気持ちは非常に強かったように思います。
←三好長房からの家計図。長治は、武将で有名な三好長慶の甥っ子。結局、内部紛争に、土佐の長宗我部元親が支援することで、義兄の細川真之との戦いに敗れ、数人の家来と逃げ着いた、ここ松茂の海岸で、援護の到着もなく、自刃しようです。
←徳島の松茂町長原にある若宮神社。いろいろな神様が合祀されれいます。長治の終焉の地から1km離れた場所にある若宮神社に、長治も祭祀されているようです。ちなみに祭神は、仁徳天皇です。
この若宮神社を後にする頃、雨が本降りになってきました。
ここで、自刃しなければならなかった、三好長治とその家来達。
その雨は、彼らの無念の涙のように哀しく感じさせられました。
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