まじっすかぁ~ と声を上げ 修繕中の東横インの廊下からトントン喧しい作業騒音が響く中、
時計を見ると、朝の8時半! 携帯電話アラームは、確か昨夜、7時にセットしたはずなのに、
なぜ寝坊したのか?後悔しても何にもならないので、急いで、朝食も取らずに、準備をして仙台駅に。
今思えば、大学生の時、試験日に近所の犬の吠え声で、起こされて遅刻した以来のドキドキ感でした。
岩沼市災害ボランティアセンターは遅くても午前10時までに、登録しないとOUT!
もう駄目もとで、電車とタクシーを乗り継いで、センターに到着。
すでに何人かのボランティア(以下、ボラ)さんは溢れてセンターを後にしている方がちらほら。
もう、駄目かと思って、センターの受付に聞くと、今日は午前も午後もボラは十分たりていますとのこと。
あ~ぁ、初っ端から寝坊で、遅刻かよ
とりあえず、岩沼駅まで歩いて戻ろうと、幹線道路を歩いていると、
スコップを持った青年2人がバスを待っていている光景を目にしました。
僕もそれに乗って駅まで行こうと、すぐに来たバスに乗車して、その青年達に話かけると、
「朝の7時半にきてもOUTでした。早い人は6時過ぎには並んでまっていたようだ。」と
ここ岩沼は仙台駅から20分でこれるし、駐車場も十分完備。ボラが来安い地区のようだ。
駅に着いて、その2人と今後の行動について話合うことに。
宮城県のボラセンターのほとんどは県外人および、すでに十分らしく募集を断っているようだ。
1人は、あきらめてこれから観光ボラをするらしく、野球を見にいくと、ここで分かれた。
残る1人は、福島の新地町災害ボラセンターに電話をして、
午後からでも参加OKと電話にて確認が取れたので、一緒に行くことにしました。
岩沼駅→(電車)→亘理駅→(バス)→新地町
昼前に新地のセンターに到着。自衛隊の車両、住民が避難している避難所。
ここ福島の新地町は、これまでみた宮城の町より、1ヶ月は遅れている感じでした。
行きやすいところはボラが溢れ、福島の行きにくい場所は、足りない。
格差のある現状に考えさせられました。
受付で登録を済ませ、簡単な説明を受け、13時から16時の作業に参加することにしました。(その時震度3)
その中で班長と副班長を2人決め、班長には50代後半の福島から来たおじさん。
(しかし最初は岩沼駅から一緒に同行してきたYさんが班長に任命されたが、遠慮がちに断っていた。)
副班長は30後半の青年。
内容は、M邸の住宅と納屋の濡れて使えない家財の持ち出しと、泥だし。メンバーは15人ほど。
センターから現地までは、湘南からボラに来ている青年の車に同乗させていただきました。
移動中、メンバーの車を見ると、和歌山ナンバー、神戸ナンバー、そして福岡ナンバーと西日本からも
結構参加していることに嬉しくなりました。
一緒に同行したYさんは住宅部門。私は納屋の農機具や重機の搬出。
後でよく考えると、女性やふつう体型の男性は住宅部門。
ガタイ系はどうやら納屋部門と自然と分かれていました。
現場のM邸は少し高台にあるにもかかわらず、1階部分の1.5mほどまで津波が上った後が壁にクッキリ
残っていました。1階部分は悲惨な状態でした。
M邸からの見渡す景色は、災害前をまったく想像させない風景でした。
時間はアッという間に過ぎ、納屋の中にあった物を全て運び出し、泥出しをし、高圧噴水機で、床を磨きました。
初めて出会ったボラ達でしたが、もう何日も一緒にやってきたようなチームワーク!
給料の為に働くのとは違う、充実感がありました。本来の姿なのかな。
しかし、班長など居ながら、結局蓋を開けると、僕が仕切っていことに反省。自分の悪い癖でもあるが。
体が大きいからなぜか僕にいろいろと聞いてくる→僕が答える→OKか尋ねてくる→僕が仕切っている感が大。
今日はとりあえず16時まで、できる範囲で終わった。明日もM邸で残りの作業を予定しています。
ボラ1日目は、いろいろありましたが、活動ができたことに感謝して、復興を心から願います。
明日も引き続き、滋賀県から来たYさんと同行予定、朝4時40分起床です。
夜型人間の僕にとっては試練ですが、絶対に起きます!
仙台駅中央改札口でYさんが一人ボッチにならないように。。。。