今、宮崎駿『ポニョ』誕生、秘められたドラマを見ていました。日本を代表するアニメーターですが、その代表作『風の谷のナウシカ』が誕生したのは宮崎駿さんが43歳の時。以外にも遅い出世作。彼が映画監督として始めて携わったこの映画は、ある人の出会いがあったからこそ、叶うことができた作品。プロデューサーの鈴木敏夫がその人。彼の粘り強い交渉で最初は漫画、そしてついに映画へと企画が進み実現ができた。
この番組は『崖の上のポニョ』の制作を約300日の映像で紹介している。この映画は宮崎作品、最後の映画とも云われているだけあり、当の本人も制作スケジュール、ぎりぎりまでラストシーンの絵コンテを悩みながら描いていた。実の母の姿を映画のキャラクターに重ね合わせ、念入りに完結を仕上げていた。
天才肌の宮崎駿さんが、こんなに忍耐強く、悩みながら最後まで描き続けているテレビ映像を見ていると、実際に映画館でポニョを見る以上に、作品と監督の関わり方がよく見えて面白かった。
この番組を見ていると、少し恐縮ながら、宮崎駿の姿に僕を重ねてしまいます。コンピュータグラフィックの仕事を20代よりしている僕に、事業的な規模に展開してくれたのが、今の会社のS会長。まさにジブリのプロデューサーの鈴木敏夫さんと存在が一致する。S会長と出会っていなければ、僕が代表を勤めるグラフィックデザイン会社も存在しなかったでしょう。
ただ投資家的なモノの発想が好きなS会長に、時々戸惑うこともあるのですが、いろいろ相談にのってくれる良きビジネスパートナーです。
いくら企画や制作で優れていても、それを引き上げてくれる人がいないと、宝のもちぶされ。僕の場合、7年ほど経って振り返った時、このS会長がビジネスでのパートナーだと気づきました。
皆様もいろいろな場面でキーパーソンやパートナーが存在すると思います。僕も機会があれば、いろいろと影響を受けた他のキーパーソンの紹介もしたいものです。それでは、そろそろ寝ます。ではでは。