あっという間に、生徒たちの春休みも短距離走のように颯爽と駆け抜けていきました。
恒例の楽しい春合宿のはなしを書く前に。
どうも私たちは、特に私は、
「汚い大人が嫌い」大嫌いです。
中でも、自分のいいように誤魔化したり、事実を捻じ曲げたり…。
挙句、そういう人の特徴は、
従わなかった人を大切にしない。
上手くエゴを隠して、人を利用していく。
こういう人たちが、
その顔をみせず
いい想いをしているのをみて感じていると
自分まで穢れてして苦しくなってきてしまう事がある。
それなりの人の
その姿は、余りにも情け無くみっともなく映る。
だけれども世の中というのは、
そういうことは表に出ないので
歪みに苦しむ人たちもいることを知ることができていると、思えばよいのか?と考えたりするのだけど。
またこれは、正義感とかではなく
事実を事実として、直視しているだけなのですが、正義感と言われると
それは、違うのだ!!と跳ね除けたくなる。
何故ならそれは、
事実を事実としてみているということを
その人の「正義感」という言葉で固定されて納められるのが、やっぱり似合わない。
正義感という言葉で片付けてしまわれることも納得がいかない。
世の中、納得のいかないことばかりなのだから
それでもいいだろうよ。
そう思っていると
そういえば、「清濁を併せ飲める人間にならなければ、人は救えない」と
助言されたことを
ハタと思い出しました。
確かに、山に住んでいると目の前を流れる三滝川がいつも教えてくれます。
大雨が降ると毎回、濁りますが
すぐに、より清らかな流れになる。
「清を持って濁を飲み込め!」そんな風に教えてもらっている気がします。
そして、そこには強い勢いがある。
立ち止まらず、スピード感を取り戻して行こうと思う春の朝。
さぁ!修行だ!
いつも応援してくださり有難う御座います!
合掌
松澤