今日は、20数年ぶりにバッタリ大学剣道部の後輩と行会いました。
しかもワークマンで(笑)
活躍はSNSでは知っていましたが、学生時代とは一味も二味も渋みを増したいい顔をしていて、「よく生きている」のが伝わってきました。
心から嬉しく、私ももっと一所懸命に生きねばと思わされました。
「一所懸命」に生きていくこと
一つ一つに本気で命を懸けていくことは、自分の為だけでなく周りの人たちの為にもなります。
そのように生きたいと思っています。
お世話になった人たちへ、その姿をみせられる生き方をしたい。それが唯一出来る恩返しの一つだと感じていますし、また反対にその姿を子供たちにみせていくことも恩送りになると感じます。
こうして人は、互いに刺激しあって生きていくことで、自分の存在意義も見出していく。
ブッダが、人との関わりを断ちただただ瞑想に耽っていることが悟りの境地だとしていた時に、大日如来が現れて、そうではないと説いたと聞いたことがあります。正しいストーリーかは不明ですが
いずれにしても
人を助けていく、手を差し伸べていくことで自分を満たしていくとその後に解いたという話だったと記憶しています。
何事も直接的ではなく、間接的に関係しあって物事、社会が成り立っています。
「バタフライエフェクト」という映画がありましたが、
世の中の全ては繋がっていて、自分の一挙手一投足が、誰かの人生に影響を与えています。
道を歩いている見知らぬお婆さんをみて、心配する気持ちが生まれることさえ繋がりだと感じますし、何かを観れば意識が動きます。
生きている以上、いや亡くなっても
人は、自然と人と人、モノを通じたりして繋がりあっていて、その前提には地球という星があり、宇宙といわれるものの中で生かされています。
そのような視点で考えてみても
自分の一挙手一投足を大切にして生きたいものです。
昨夜は、火祭りの火渡り神事に参列して参りました。
来年は、山伏として式衆に入らせて頂くという大変光栄な、新米山伏ができる事ではない機会を頂いています。
有難い環境に身を置かせて頂いていることに恥じる事ない思考、選択をして参りたいです。
因みに、火渡りは途中まで順調だったので少し火の強みのところを歩いたらやはり一部火傷をしました。
無理はいけません。