この度、4月29日に

 

弘法大師空海生誕1250周年に寄せて

 

私たちのプロジェクトでも奉納演奏をさせて頂く運びとなりました。

 

しかし、しかし、ただ、お大師様の流行りに乗ったわけではなく

 

このプロジェクトのプロジェクト名が決まったのが

2017年の1月13日でした。

 

そして、私たちは、たまたま何かに導かれるかのように

1月30日に高野山へ参拝へ行きました。

 

世界遺産になって間も無くではあるものの

雪深く誰もいない列車に乗って

誰もいない人っ子一人見かけない高野山にお参りしたことを思い出します。

 

しかし、今回のお大師様に捧げる奉納演奏は

 

それだけでなく

こちら、松澤のMyお大師様

 

幼児の時からずっとお世話になってきたお大師様です。

 

 

 

 

 

このブログに登場する私が敬愛する実業家だった祖父の思い出のお大師様。

 

こんな風に閉まったり、開いたりします。

 

持ち運びも簡単。

 


 

 

必要があれば、お大師様だけ取り出しも可能です。

ジャーンとこのような感じです。






ある日、そんなお大師様は、
まだ、未就学児だった私の目にとまりました。

つまり
ロックオンされました。
 
それからというもの
私のおままごとやひとり遊びの相手としても大変ご活躍くださいました。
 
そして、普段は、寡黙で声を上げない祖父が
 
私が、お大師様を取り出し遊ぶのを見つけるたびに
走って追いかけ、声を上げて祖母を呼びつけるようになりました。
 
 
日本中どこを探しても
リカちゃんやジェニーちゃんやぬいぐるみたちとおままごとに参加したり
 
滑り台を滑べらされたり、
押し入れで隠れんぼをしたことのあるお大師様はいないことでしょう。(ごめんなさい)
 
祖父が亡くなった後、このお大師様は
一族公認で、私に形見として授けられました。
 
しかし、しばらくは実家に置いたままでした。
 
数年前、たまたま実家に帰り
久しぶりに帰って、母と私とで大げんかになりました。
 
「もう!こんな家、縁を切ってやる!!」と荷物を持って帰ろうとした私に
 
玄関先まで追いかけて
 
「亜希子!!!ほら!!忘れてるわよ!!!」と怒り狂った母の片手には
お大師様。。。
 
私に突き出されたお大師様を受け取るとき
面白すぎてうっかり笑い出してしまったのを覚えています。
 
 
そんな思い出溢れる
小さな松澤の手垢付きのMY お大師様は、
その時から我が家に来てもう数年
 
毎朝毎晩、私のさまざまな良しなしごとの報告や思いを訊いてくださっています。
 
 
当日は、岩殿観音正法寺様の本堂にある大きなお大師様の像を
観音堂の前にお祀りします。
 
 
その際に、私のMY お大師様も一緒にお祀りさせて頂く予定です。
 
image
 
お大師様と私
 
子供の頃、そんな子でしたから、大きくなったら僧侶になろうと思っていましたが
叔母の遺言で出家は禁止されました。この話はまたいつか。
 
不思議なご縁なのか運命なのか
 
お大師様の生誕1250周年記念の奉納演奏をさせて頂きます。
 
どなた様も入場無料です。
 
どうぞお気軽にお越しください。
 
 

 

 
いつも応援ありがとうございます
 
深謝
 
松澤