ほぼ、前期の授業が終わり
小論文やレポートなどの嵐と
経理や補助金などの事務処理と
補助事業の追い込みと、、、
大学院は
素晴らしい授業で頭のなかが
てんやわんやしていました。
今もその最中、、、
今日は、前期、最後の研究室での会食でした。
会話の中でチラリと
春菜の話しをしました。
小耳にはさんだ、中村教授が
よく聞こえてなかったのだけど
「 今の話、次のゼミでまとめてきて発表して」と…
えーー?とビックリしました。
なぜなら、やっと研究の焦点が絞れた気がしていたから
研究したいと思ったのですが
でも
とても有り難い事だと次の瞬間思えました。
春ちゃんこと、春菜が私たちと出会って
5年が経ちました。
春菜のソロでのステージデビューからは
明日で3年です。
そもそも
私たちが、なぜ越生に来ることになったかといえば
あの大変な渦中
就労支援施設を借りて教室をさせてもらっていた時に
彼らが、
どれだけ自立して生活することが大変なのか?を知りました。
そして、音楽が好きで
さまざまな才能をもっていて
私たちに与えてくれる影響力は、
例えば絵を描いたり歌ったり楽器を演奏したり
何かを作ったりした時もそうですが
微笑む、笑顔になるというだけで
素晴らしい影響を与えてくれるのに
労働対価となると
月に数百円という人もいるらしく
平均しても月に2万円弱だときき
保護、年金があるといっても
中には、春菜のように手続きすら出来ない子もいるわけです。
年配の障害をお持ちの方たちは、
就労支援施設から出なきゃ行けなくなったらどうしようと相談をしてくる人たちもいました。
彼らなりに悩んでいるのを知って
ハンガリー行きのチケットを取った日2017年の大みそかだったと思います。
(インフルエンザで高熱だったので覚えていないのですが)
チケットを取ったことを
ハンガリーの経済学者の先生に連絡をした際に
何気なく、ハンガリーの障がい者の現場を教えてほしいとメッセージしていました。
なぜ、そんなメッセージを送ったかというと意識朦朧とする中で
ハンガリーのコンクールで、視覚障害者の方々が
審査員をするという記事を見つけたからでした。
しかし、残念ながら先生からは、
「私の専門外だからわからない」と返信がきました。
しかし、渡航の数日前に
先生から「これをみてください」と
ハンガリーのパラフォニアの映像が届きました。
あの時の感覚を私は忘れることはありません。
渡航の前日に先生からきたメッセージには、3泊5日のスケジュールでしたが
先生の奥様が学長を務めるの国立音楽学校の見学、各楽器、ソルフェージュクラスの見学、先生のレッスンの見学
通常の公立小学校の各学年の音楽の授業の見学、、、
これだけでもあり得ないスケジュールでしたが
さらには
「パラフォニアの先生との面談」「国立養護学校訪問」というスケジュールが詰まっていました。
このほかに、リスト音楽院のドラフィ先生と会食や
演奏会など私も初のハンガリー、ここだけは行きたい英雄広場やマーチャーシュ、、、スケジュールは、満載…
しかし
パラフォニアの創設指導者に会えるなんて…
https://youtu.be/VuWCSG7M93w
この旅が、どんな旅だったかは、過去のブログを遡るわけですが。
で、
とにかく、パラフォニアのレイカ先生は、
私たちのことを気に入ってくださり
「 もう、私も引退なのでその前にあなたたちに全てを教える。」と言って下さいました。
また、必ず来るように!と。
そんなことがあって
日本に帰ってきた私たちは、音楽団をつくって
みんなで働きながら興行をしようと計画してブログを書いていました。
それが、ハルモニアンシンフォニー
調和人の交響曲です。
そして、ある日
たまたま越生にきて、道を間違えて黒山三滝にたどりつき
トイレをかりに入ったカフェのオーナーさんが
ブログを読んで廃屋となっている旅館で
音楽団をやったらどうか?と紹介してくれました。
みにきたけど旅館は到底、私たちの資金で何とかなるものではなく
肩を落として進んだ先に
今のスタジオがあったという話です。
長くなりましたが
中村先生は、障がい者の身体を変えようというのが医学モデルという考え方なら
障がい者の方が生活しやすくするために社会を変えていくのを社会モデルというのだ。と教えてくれました。
ぽしゃってしまった越生梅林も彼らと音楽団をやるための就労の場に
うちのカフェもそれが目的で
柚子胡椒も然り
健常者と呼ばれる子供たちとの共生
自然環境や動物たち、高齢者との共生
独身でも寂しくない
みんなでつくる友達村
そんなことをいまも変わらず私たちは目指してやっている。
そんな
社会モデルに変化を起こすことを
私は考えています。
それは、Kuniko先輩に再会する前から
動物園みたいな場所で高齢者も障害者も健常者も子供も動物もみんなで楽しく暮らすこと。
子供の頃からの夢。
辻井くんは、素晴らしいピアニストだけど
彼は、彼で素晴らしいけど
春菜には、春菜だからこそ出来ることを
私たちと一緒に
私たちを代表する
たくさんの人たちが希望の光を見出し
導けるヒーローになってほしいと思っています。
最近の春菜は、少しづつそんな未来を一緒に見てくれているように感じて
逞しくなっていることを感じます。
春は、25歳だけど
うちにくる小学生や中学生たちが
「春ちゃんと結婚したい」という女の子がいるほど
春の将来も
うちでちゃんと組織化して
みんなで生活できる興行出来る食べたいける場所にして、そして世間に大きな衝撃を与えるような音楽団となれれば
世の中、変えていけるかなと実感してます。
そうすることが
本当は、私たちの
本当のアウトリーチで
そして、地域活性化に繋げていけるはずなのだと
本当は、思っています。
いつも応援ありがとうございます。
深謝
私たちの432Hzとの出会いがあった2018年1月のハンガリー渡航のもう一つの
アナザーサイドストーリーでした。
深謝
松澤