私が、まだツアープロを目指していた頃
下手チキだったので、ボールが見えなくなるギリギリまでコースで練習して
そのあと練習場に行き車のライトをつけながら練習したりしていた頃。
ちょうど、もう直ぐ夏も終わるそんな時期でした。
ひぐらしが鳴いていて
もう直ぐ日没という時間帯。
クラブハウスに向かい、マスター室の横のエアーガンでスパイクの芝を落としてたら
『男子トイレから怒鳴り声が聞こえる』
あ〜、Yさん(ハウス掃除のおばちゃん)また怒られてるな〜かわいそうに。
自分より年下の男性チーフにいつも怒鳴られているYさん。
クラブを洗っているといつの間にか
マスター室前のゴミ箱の掃除に来ていて(影が薄い。。。)
『お疲れ様です!暑いのに朝早くから
遅くまでがんばられますねぇ。がんばられますねぇ。』と
少し照れ臭そうに微笑みながら
(きっと怒鳴り声が聞こえていたのを気にしていたかもしれません。)
声をかけてくれました。
この時、私は、ふと
『この人に、誇りに思ってもらえる選手になれるようにがんばろう!』と思いました。
いつか、トップ選手としてリーダズボードに乗った時に
『松澤さんは、うちのゴルフ場の子だったんですよ!
あの子が、研修生の頃からよく知っているんですよ』とか、言ってもらいたい。
そんな風にふと思いました。
それから、数年して私は、事故をもらい(間もなくプロテストという頃、飲酒運転の酔っ払いに後ろから突っ込まれ)程なくして、ツアープロを諦めて
ぼちぼちツアーキャディやマネージャーや
フィットネスクラブなどで仕事をしたあとに
再び、ゴルフコーチとなってこのコースをレッスンで使わせてもらっていたのですが
Yさんは、相変わらずでした。相変わらず怒鳴られているし
新しく入る若手にも小馬鹿にされていて
見るに耐えられない時もありましたが
他に人がいない時は、よく話したりしました。
Yさんに誇りに思ってもらえるプロになろうという思いはすっかり忘れていた頃
忙しくて時々しかコースレッスンに行かなくなってきた頃に
Yさんが定年退職をしたと聞きました。
制服を返しに来るとか。
それを聞いた時に、あの日のことを思い出しました。
Yさんが誇りに思ってくれるような選手にはなれなかったけど
お礼は伝えないとと思い
その日は、別の仕事があったので急いで手紙を書き
売店の方に渡してもらいました。
Yさんは、その日帰ってその手紙を読み
泣いてくださったそうです。
ひそやかに開かれた送別会に参加した売店の方が
『これまでの人生で、自分が生きていていいのかいつも悩んでいらして、
ここで仕事をしていていいのか?考えていたそうです。
でも、他に仕事もないし。
知らないうちに誰かの力になっていたなんて。
人生で初めてそんなことを言ってもらったと。
よろしく伝えてください。と言っていましたよ。
一晩中、嬉しくて嬉し泣きをしたそうですよ。』と後日、伝言してくれました。
このひぐらしの時期の夕暮れ時になると
研修生時代を思い出します。
そして、背中を丸めて小さくなって歩く
Yさんの姿を思い出します。
トッププロとして活躍する夢はかなえられなかったけど
もしまたYさんに会えた時、恥ない自分でいたい。
今日は、個人的な話
お付き合いくださりありがとうございました
深謝
matsuzawa
絶対このプロジェクト
成功させよう!