パラシュートで戦地に送られた時


地上へ降り立つ道中

わたしは自分の不運を感じていました

だって

そこは現実とは思えないような世界でした


私は沢山の子供達や人間と

楽しく音楽を奏でたかったのにと思いました




しかし日が暮れ

戦いが静まると

私の元に兵士たちが集まってきました


本当なら

わたしは誰かの家庭に届けられて

楽しくみんなを幸せにするために生まれてきたのです


しかしわたしの周りには

兵士たちが集まってきます

みんな目の奥は楽しそうではありません


しかし

少しピアノを弾ける兵士が

私を弾き始めると

更に酒を片手に兵士たちが集まってきます


当時ですからクラシックを弾ける兵士なんていなくて

私はジャズやカントリーを主に歌いました


でも

そうこうしているうちに

なんだかみんな少し楽しそうになりながら


ここが戦地なんて忘れてしまって

飲んで

歌ってくれるんです


私もそんな時はそのひと時だけは

とてもとても楽しかった


だんだんと

私がここにきたことを誇りにも思いました


時には

亡くなった仲間を偲んで歌われたこともありました


わたしはわたしを歌わせてくれた兵士一人一人の顔を今でも覚えています


それぞれの兵士に

戦場での顔でない

本当の顔がありました


家族も仲間も大切な人も

そんな人たちにみせる顔をわたしには見せてくれました


わたしは彼らと夜通し歌った日もあります

泣きながら歌われたこともあります


夜が明けると

また戦いが始まる


そんな日々を過ごし


戦争は終わり

わたしはいつのまにか黒く塗られました


誰もわたしが何者か知らなくなりました


世間で私たちを知る人も

ほとんどいなくなりました


元々、戦地に運ばれるようにつくられたわけですから


あれから7.80年したらほとんどの仲間は消えてしまったようです


私の仲間は戦地に送り込まれるように

スタインウェイという最高峰の会社で特別に

2000台から3000台作られたと聞いています


パラシュートで降ろされますか

戦地に置き去りにされる予定で

軽めに作られているんです


だからもうわたしもガタがきてしまい

修理にタカギクラヴィアさんへ出され

高木社長に出会いました


真っ黒なわたし


少し禿げた部分から

このカーキ色に高木社長が気がついてくれたのが

キッカケでわたしはまた

このカーキ色に戻りました


高木社長は丁寧に私を修理してくださいました


今、

わたしの周りには兵士はいません


こんな風に

音楽が楽しめる日が来るなんて

わたしも夢にも思いませんでした


ましてや敵国だった日本人の方々に

こんな風に受け入れられて

私を平和の象徴の1つとして囲んで下さることになるなんて


わたしはこれから平和のために

世界のみなさんと歌いたいと思います


憧れだったクラシックも歌いたいし

現代曲なんて唄えたら

それは戦地にいた私にしたらまるで夢みたいな話です


そしてなにより

平和の為に犠牲になられた沢山の命のためにも歌います


それからこの平和な今を生きる

みなさんの為に歌います



ほんと言うとね

わたしね

戦地に行くまでは自分がVictory GIになるのが夢でした


当時、私たちの中で

Victory GIといえば選び抜かれた戦士ですから


でも戦地に降り立ってからは

平和な世の中を願っていました


だって

戦争で歌う兵士の顔をみると

音楽って平和のためのものだと思えたから

平和な世の中を願い

平和な世の中で歌いたいって夢みてきました


だから

こうして夢を叶えるチャンスがきたのかもしれません



はじめまして

私の名前はVictory GI 



あなたに会えるのを楽しみにしています




あ、私のこの絵
東松山市立松山南中学校の中野えなちゃんが
何日もかけて描いてくれたんですよ

ステキでしょ?





深謝



a.Mtsuzawa



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