再会したての頃

たくさんの夢が叶ったとして
最終的に叶えたい夢は何かを聞かれました



私の最終的な夢というか目標は
今も変わっていません


音楽の力を借りたら
それが実現できると日々確信の深まるばかりです



【 障害のある方もお年寄りも子どもも動物たち、植物たち、健常者と言われている人たちもみんなが分け隔てなく調和される世の中をみること体験することそうすること】

これなのです


今朝もミーティングをしながら


『その夢はどうしたら叶うと思うの?』と聞かれたので



そんなの


『 ちゃんとみんな分けて隔てをなくせば出来るよ 』というと

kuniko先生が固まる


へ?


いや。だから分け隔てなくっていうのは

ちゃんとどう分かれてるのか知ることから始まるでしょうよ?


ということで

その分け隔てなくの意味の認識に
優等生に笑われたものの


だって、


老若男女、障害のあるだのないだのとか
猫だとか牛だとか人間だとか

それぞれの特徴を知りお互いを尊重して生かしあったらいいものを


分け隔てなく

『分けずに隔たらず』っていうのは
私にしてみたら


いや、それぞれ違うでしょ?
わかってるでしょ?


頭の中では分けてるでしょ?


男女平等?とかの本当の意味合いは
それぞれの良き特徴を生かしあうことだと思えてならないし

だって女性なのに男性として扱うことになるのおかしいじゃない?



女性も男性と平等だから同じ仕事を同じようにすることだとしてるのには
いささか疑問が湧くのです


そこが平等ではないと思いませんか?


例えば金銭支給的なことだったり
働きたいのに働けないとか
ならそれに対して考えた方がいいのにと思えてならない


それに

そもそも違うもの同士が組むから新しいものが生まれる

世界は拓ける


例えばそれは逆に
同じような思考を持つ人や似たものたちが集まると
深めることも出来る



私の好きな話の一つに


きつねと鶴のご馳走というお話がある


きつねが、そうそう
鶴にお皿でスープを出す話


物語の詳細はグーグル先生に聞いてみてくださいな


問題は
違いにいい悪いをつけるからおかしくなる


人は、自分と違うものを悪と思う
という名言もある程なわけで


音楽、特にクラシックに出会い
クラシック音楽の秘めたる可能性に
今私たちはチャレンジしています

これからもっとやっていく


専門家の話や歴史を知ると
みえてくるものがあり


音楽の本質と言われる調和へのあくなき挑戦が始まったわけです


そしてもう一つ


最終的にどんな人生にしたいかと聞かれることもあるので


それについては

人生の終末
【 お迎えが来た時、もう一度この人生を歩みたいと思えるそんな人生にしたい】と思って


このプロジェクトに取り組んでいます



で?


分け隔てなくの意味の本当の真意は何かって?



なかなかそれらしい意味を記しているものに出会えませんでした




全ての言葉の意味は
脳の形成の仕組みにおいて
人それぞれ本当は違うのです


だから、人間なのでしょう


そもそも違うのだから分けられないのかな?






『最善の解決策は常に最も単純な解決策である』 オッカム


それでは引き続きみなさんも


Bon Voyage!
A




それに向けて修行中



ではなくて

菜摘さんの14回目のチャリティコンサートのお手伝いでした

幼い頃から世界に目を向け
小さいながらもピアニストとして
12歳から始めたチャリティコンサート



節目となった14回目は
なんとチェルノブイリからリューダさんをお呼びしての共演でした

素晴らしすぎる演奏は
素晴らしすぎるスピリットから


今回をもってピアニストでもありお母様でもある
久保山先生の主宰から

菜摘さんが自立して次回からご自分で主宰し
続けていかれるとのこと

素晴らしすぎます 涙