松竹座で7月大歌舞伎 | 人間の大野裕之

人間の大野裕之

映画『ミュジコフィリア』『葬式の名人』『太秦ライムライト』脚本・プロデューサー
『チャップリンとヒトラー メディアとイメージの世界大戦』岩波書店 サントリー学芸賞受賞
日本チャップリン協会会長/劇団とっても便利

昨日は大阪松竹座で7月大歌舞伎。我當丈の、ご病気から復帰の清盛。座ったままでも芝居空間が舞台いっぱいに広がる。動けなくなった時こそ、役者の業を強く感じる。
仁左衛門丈の碇知盛は関西では最後との話。新中納言知盛になって戦へと向かう決死の眼光にまず震える。
喉がかわき、自分にささった矢を抜いて血を舐める壮絶な演技をするのは松嶋屋だけ。弁慶に数珠をかけられた後の、「そも、四姓始まってより討っては討たれ〜」の台詞・息遣いを堪能。初演は「生き変わり〜」に入る直前の間で義経の方を向いていたが、近年の松嶋屋は「生き変わり〜」以降の台詞の中で徐々に体の向きを変えていく。「恨みはらさでおくべきか」の後の怨霊のごときの舞、しかし途中で崩れ落ちるところに人間の弱さを見せる。
やはりラストの海に飛び込むところ。確か初演はぐっと前を見据えたまま、前回は直前に天を仰いでいたが、今回はぐっと俯いてから飛んだ。より強い覚悟を感じ、深く感動した。
孝太郎丈の典局の大きさと格。菊之助丈の義経の品。幕がしまってからの弥十郎さんの弁慶の弔いの法螺貝の悲しい響き。
終演後は先斗町亜弥さんと今月の松竹座出演者のある方と焼き鳥屋で芝居話。延々とつきない芝居話。
それにしても、碇知盛で思い出すのが、文楽の吉田玉男師匠の最後の大物浦。人形が碇を持ち上げた瞬間、ぐっとクロースアップのように人形に芝居空間が凝縮された。その後、スローモーショーンのように足を残しながら海に落ちていく。涙が止まらなかった。