ICUでの地獄の3日間 | 青天の霹靂 がん日誌 10年目

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2014年12月まさかの肺がん EGFR ステージⅣ宣告。
何だかんだで10年生突入です。
なお、アメンバー申請はブログをされている方以外はメッセージを添えてお願いします。

 

皆さんこんにちは。

今回も舌癌の内容となります。

 

 

舌がん手術後、ICUで3日間過ごしました。ICU、人生初体験でしたがとにかく辛かった、の一言でした。事前に術後の窒息地獄のことはYoutube等で何となくわかっていましたがここまで壮絶だとは思ってもみませんでした。

 

 

術後、唾液、痰が大量に出て嚥下障害で自力で飲み込みにくくなるのですが、又気管切開しているので喉にカニューレという管を入れていてそれが痰で詰まり、呼吸がしにくくなるので15~20分毎位に看護師に吸引してもらうのですが、そのため3日間、安心して寝ることができませんでした。

 

 

寝落ちても唾液が喉にたまり呼吸ができなくなり、そこで強制的に起こされ、吸引してもらい、又寝落ち・・・、の繰り返しでナースコールボタン連打状態。もし看護師が来てくれなかったらそのまま窒息で死ぬのかなあ、などとぼんやり考えていてナースコールボタンの位置は絶えず気にしていました。

 

 

そのうちあまりにも連打して苦しいことをアピールすると看護師から「肺がしぼんでいるので術後は呼吸が苦しくて当たり前です。」とピシャリと言われてしまい、暗に押すなと言われているようで余計押しづらくなりました。堀ちえみさんも言っていましたが、吸引専門の看護師を常時、1人つけてほしいと思いました。

 

 

又、術後の吸収熱が凄まじく、体が異常に熱くなり身の置き所が無い状態が続きました。そして、そのころICU内の空調が不調で2月なのに真夏のような状態となり、灼熱地獄に拍車をかけました。💦 ついには熱くて熱くて、発狂しそうになり、かつ寝ていないことも相まって幻覚を見るようになりました。凝視

 

 

終日、部屋の天井の同じ景色をずっと見ていると、天井の模様とか、空調の出口のスリット形状が勝手に動きだし、変形して、ある動物の形になったりしだしました。又、気管切開していて声が出ないため、筆談で自分の持ってきた扇風機をロッカーから取り出してもらうことを何回も要求しましたが、規則で無理だということで聞き入れてもらえず、やるせない気持ちになりました。

 

 

ということで精神的にもつらい3日間でした。体験した人でないと中々伝わらないと思いますが沢山の管が体につながっていて身動きできないなか、天井をじっと見ながら熱さと窒息地獄との格闘。暴れたくなる気持ちを抑えながら、何回も筆談ノートに「楽にして欲しい」と書いては消して、家族のためにもう少し頑張ろう、という自問自答の繰り返しで只々、時間が過ぎるのを待つだけという日々でした。

 

 

そのうち歩行器で少し歩けるようになった4日目の朝、ようやく病棟に移動できるようになりました。

病棟では扇風機が持ち込みできることと空調が効いていることに希望をもち、ホッとして出ることができました。マンツーマンで見てくれた看護師さん達には本当に感謝ですが二度と(再発などで)戻ってきたく無いと強く思いました。

 

 

 

おしまい