阪急沿線情報誌「TOKK 」様には誠によく使っていただきまして…50周年の記念サイトが25日から公開されてるのですが、担当の方から表紙の写真を掲載させて欲しいとわざわざ尾上流のサイトから調べられて私のところにもご連絡がありました。
サイトを拝見すると、私の表紙号が2回とも載っていて、懐かしいやら恥ずかしいやら…
表紙だけではなく、2年余りにわたり阪急ブレーブスのレポートや選手のインタビューを書いていました。。。
やはり、名将・上田監督はすごい人でした。
宝塚歌劇団を退団してテレビ業界でキャスターやレポーターとして仕事し出してからも、本当にいつも気さくに親切にしていただきました。
お父さんみたいな存在?でした。
2017年に亡くなられた際にはご葬儀に参列させていただき「本当にありがとうございました」と手を合わせました。
私が中学生時代から大ファンだったのが、セカンドのマルカーノ選手。ベネゼエラ出身ですが、日本人とのクォーターらしく、日本語もとても上手でした!中学生時代、三ノ宮の駅で会って、文庫本にサインしてもらったことがあるくらいです。
山沖投手とは、、、
いまでも親しく家族ぐるみのお付き合いです。
これがご縁の始まり!(^^)
この経験が後々の私の人生に大きな影響を与えることになりました。スポーツキャスターを目指す気持ちは、このTOKK から芽生えました。
私の記事の写真は古くて見辛いのですが、
記念サイトからも当時のTOKK の内容がご覧になれます。
阪急阪神マーケティングソリューションズ、クリエイティブ局編集部の皆さまに感謝申し上げます。
そして、、、
当時の阪急電鉄本社事業部のスタッフの皆様には、
本当に可愛がっていただきました。
中卒で音楽学校に入ってこの当時まだ十代、
何もわからない小娘とよく我慢強く、そして優しく一緒にお仕事してくださいました。
感謝してもしきれない思いです。
あまりにも昔のことですが
阪急はグループ企業ですので、
事業部から歌劇団にいらしたり、
ブレーブス球団から宝塚ファミリーランドにいらしたり、
歌劇団から西宮球場にいらしたり、、、
と、会社の移動があり、このあとも電鉄の本社や球団や球場の皆さまには本当にお世話になりました。
懐かしい色んなことを思いださせていただきました