5月28日は、
私の誕生日でございました。
SNSを通じてたくさんのお祝いメッセージを頂戴いたしましてありがとうございました。

現在86歳になる母が、
このコロナによる不自由な生活となったのを機に、ずっと頑なに拒んでおりました「スマホ化」をはたし、
従兄弟や姪の力も借りながら、
なんとか(首相の言っていたところの)オンライン帰省を実現できるところにまでたどり着きました。
姪二人とともに、
神戸で暮らすジジババと一緒に、
なんと、オンライン飲みまでできました。
ま、
でも2回目も上手く行く保証はありません、
忘れてくれるのは、猛スピードですので…えーんえーんえーん


両親の第二子であったワタクシ、
予定日は6月だったのだそうでして、
早めに生まれてこなきゃ、
さつきという芸名にはなっていませんてした。
で、
私が生まれた28日の朝は、いつも通りに家族の朝食を済ませ(当時うちは8人家族でした)店を開けて(母は薬剤師で実家は薬局です)しばらくしたら、、、
「産まれそう」になり、
荷物を風呂敷に包んで市電に乗って当時の神戸市民病院まで行き、間もなく…11時頃に私が生まれたのだと聞いております。
兄のときに続いてとーっても安産だし、つわりも全くなかったので、こういうのは遺伝するからアンタもきっとそうだろうと言われて育ちましたが、残念ながら私はそれを検証するチャンスに恵まれませんでした。
遠い遠〜い昔の話であります。
お母さん、産んでくれてありがとう。

なんの親孝行もしてないどころか、
心配させる名人みたいな親不孝娘も、
こーんなにおばさんになってしまったのでございます。。。

長く生きていると、
本当に色んなことがありますね。
まさかまさか、
このような状況で誕生日を迎える日が来ようとは…びっくりびっくりびっくり

そうして誕生日の夜は同じフリーアナウンサー事務所の仲良し達が(私自身はアナウンサーではないつもりなのです、一応まぁ司会者って立ち位置のつもりです)リモート誕生日パーティーを開いてくれましたおねがいおねがいおねがい

作ってくださった動画が楽しいのですが、長すぎてアップできないので…
静止画です。




インターネットがここまで生活の中に浸透し、
そのおかげで、本当に驚くほど多くの方から身に余る光栄なるお祝いのお言葉をいただき、
もちろん、
どこへも出かけて行かれはしませんが、
幸せであったかい誕生日を過ごすことができました。

使い方を間違えてしまうと、、、
悲しい、不幸な出来事の引き金にもなってしまうインターネットではありますが、
これからも、色々と模索しながら、学びながら、習いながら、、、
そして、
ワタクシなりに、
新しい社会で生きていく人生を見つけて、
年齢を重ねてまいりたいと存じますニコニコニコニコニコニコ

大好きな日本舞踊を、
これからも、
ずっと踊ってゆくために、、、

引き続き、
どうぞ宜しくお願い申し上げます!