日本で最初にオーケストラ演奏バックに日本舞踊を上演したのが『宝塚』なんだそうですビックリマーク
ご存知でしたか?
今でこそ、マツケンサンバやら、紅白歌合戦やら…普通のことになっていますが…キラキラ



「宝塚出身なのに何故日本舞踊やってらっしゃるんですか?」
と、たまに聞かれますアセアセ


おそらくビックリマーク
特に宝塚に詳しくない方には、
『宝塚』と言えば『ベルサイユのばら』に代表されるようなキラキラのドレスリボンや、金髪にロングブーツのオスカル様ドキドキフィナーレで豪華な羽根を背中に背負って階段を降りるスターの姿、つまり、洋風なものが宝塚のイメージなんだと思いますワンピース

でも宝塚では、音楽学校のときから日本舞踊の授業があり、演目によっては、日本舞踊を主体としたレビューショーがあったりしますおひなさま
特に海外公演では必ずと言って良いくらい、和物ショーは上演されます桜

昔に比べて頻度は低くなりましたが、
お芝居やミュージカルでも、いわゆる時代劇ドラマである「日本物」が度々上演されます。


私自身、バレエは小さいときから習っていましたが、日本舞踊に初めて触れたのは、宝塚音楽学校でした合格


元々、時代劇大好きな子どもだった私、日本舞踊の魅力にドキドキドキドキドキドキでした。


アップアップアップアップアップ
宝塚歌劇団の現役時代にも、源氏物語やら、春琴抄といった、色々な時代の和物の舞台で、日本舞踊の振付を受けて毎日踊らせていただく機会がありました

しかし宝塚時代は、他にもダンスや芝居や歌などなど…やること多すぎ!


で、本格的に日本舞踊の勉強をさせていただくようになりましたのは、
現在の師匠である、尾上菊保先生に弟子入りした二十代後半からでした。

お医者さまも、踊りの師匠も、
「先生」と呼ばれる方とは、一番大切なのが「相性」だとよく言われます。

私の場合も、宝塚現役時代にはご縁のなかった「尾上流」の舞踊家になったのは、師匠菊保先生との出会いが全てであり、菊保先生に入門しなければ、おそらく日本舞踊の道に進むことは考えなかったはずです。

人生は全て「ご縁」でできている…としみじみ…ラブラブ

菊保先生は、日本舞踊のみならず、他の芸能全般にわたり造詣が深く理解のある方ですので、私の
宝塚仕込みはてなマークの日本舞踊を尊重しながら、古典舞踊の世界を教えてくださいました。

もし、頭ごなしに「宝塚の日舞なんか早く忘れなさい!」てな先生だったらどうだったか!?


ちょっと現実的で夢のないハナシになりますが、お金に対して驚くほど良心的な菊保先生の元には、アルバイトしながらお芝居している若い役者さんなども大勢通っていました音譜
「この先生ならば続けられる」
と、確信できたのは実はそこがあせる一番大きなポイントだったかも!
いや、絶対にそうですニヤニヤ

宝塚で初めて教えていただき大好き恋の矢になった日本舞踊を、良き師に巡り会えたご縁により長く続けられることができたわけですニコ

中学3年生で通った宝塚受験のための予備校一年間と、宝塚音楽学校の二年間、合計三年間、週に4コマの日本舞踊の授業が、私尾上五月の日本舞踊の基礎の基礎を築いた日々でした。
さー踊れビックリマークやれ踊れビックリマークの乱暴なくらいの超スパルタ団体稽古、
全ては見よう見まねでしたが、
日本舞踊の授業が大好きビックリマークでした音譜
15〜17歳というスポンジのような吸収力と若い体力とバレエで鍛えた柔軟性のある身体を持ったその時代に、この素晴らしい芸事に出会えたことを今は心から感謝していますドキドキ

『宝塚』と『日本舞踊』は切っても切れない強い強い結びつきがあるのですニコニコ



次回は、『宝塚音楽学校での日本舞踊の授業』続いて『日本舞踊はお金がかかるのか?』『男役の美学と日本舞踊の立ち役』についてなどなど…お届けしてまいる予定です音譜
お楽しみに〜〜ラブラブ



あじさい元タカラジェンヌ尾上五月あじさい
の日本舞踊教室さつき会は体験レッスンも随時受付しております!
お気軽にお問い合わせくださいネコ

尾上五月オフィシャルサイト

Facebookページ