おのころ心平です。
「汝自身を知れ」
これは、
アポロン神殿の入り口に刻まれた
古代ギリシャの格言。
デルフォイのアポロンから
「ソクラテスにまさる知者はなし」
と神託されたソクラテスは、
「汝自身を知れ」を行動指針とし、
プラトン、アリストテレスといった
後継者たちに影響を与えたのでした。
***
【古代ギリシャの体質論】
ソクラテスは紀元前469 年
(もしくは前470 年)に生まれ
紀元前399 年に亡くなった
古代ギリシャの哲人ですから、
そこから数えるならば、
2500 年近くたった今も、
人々は「自分を知ること」
を探求し続けています。
***
古代ギリシャで
医学的知識を集大成したのは
ヒポクラテス
(紀元前460 年頃~375 年頃)でした。
ヒポクラテスの名は
今でも医学の教科書に登場し、
医学の祖として尊敬されていますが、
ヒポクラテスの時代は、
体液のバランスによって
健康状態や精神状態が決まり、
その調和が崩れると病気になるという
体液病理説
(四体液説)
をもとに、瀉血(しゃけつ)などの
治療が行われました。
体液病理説は、
もともとは
エンペドクレス
(紀元前493 年頃~ 433 年頃)の
四大元素説
の影響を受けたもので、
人間のカラダには、
血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁
があり、
正常な混合状態ならば
人間は健康で、異常混合になると
病気が発生するとされています。
***
【古代ローマの体質論】
ギリシャの医学者ガレノス
(129 年頃~ 200 年頃)は、
ローマ帝国時代の161 年にローマに移り、
皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの
典医にもなった人物です。
ヒポクラテスの体液病理説を継承し、
体系化しました。
ガレノス以後、
ローマ帝国においては
目立った医学の進歩は起きなかった
といいますから、聖典扱いです。
実際、
イタリア・ルネッサンス期を
迎えるまで、
ガレノスの残した
医療知識と技術は
絶大な力を持っていました。
また、
中世イスラム世界の医師たちの多くも、
ガレノスによって説明された
四体液説に頼ったとされます。
特筆すべきは、
ヒポクラテスの唱えた
「医学の基礎には哲学が必須である」
という考え方が、
ガレノスの著作が
受容されることによって、
後世のイスラム世界に
おける医学思想に
多大な影響を与えたことです。
▼
※現在、早期割引価格でご購入いただけます!!