おのころ心平です。
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ココロとカラダの関係が
なぜ、これほど
分断されてしまったのでしょう?
ココロはココロ、
宗教、哲学、心理学に。
カラダはカラダ、
医学、解剖学、生理学に・・・。
サイエンス
=scienceとは、
sciという接頭文字が
「分ける」という意味です。
scissors(ハサミ)
の接頭文字にも
使われている通り、
分けて考える、ということが、
科学=サイエンス
の宿命だったのです。
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科学はまず
ココロとカラダを
大きく2つに分けました。
これはデカルトをはじめ、
近代科学の黎明期を担った人たちが、
やむなくとった方法です。
教会の力が圧倒的だった時代、
見えるモノ(カラダ)も
見えないもの(ココロとか霊)も
まとめて説明する、
統一見解を示すことは、
教会のパラダイム(世界観)を
根底から覆す(全面否定する)ような、
つまり、
大反旗を翻すような
非常にリスキーな挑戦でした。
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だから、
「目に見えない、ココロの世界や
霊(スピリット)のことは教会が
これまで通りのルールでやってください」
「でも、目に見える世界においては
物理法則
というルールをつくって、
ちゃんと実験による
再現性を証明すれば、
たとえ教会の大司祭でなくとも
誰でもルールをつくれる、
という「ルール」を作りませんか?」
と・・・。
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ココロとカラダを
分けて考えるのは、
そういう傾向を
17世紀以来の賢い人たちが
まるでトラウマのように
強迫神経的にもっている
考え方のクセ、
ともいえるのです。
近代以前の、
グノーシス主義や
ヘルメス主義などが
異端として追いやられたのも、
それは、
考え方のクセが
主流じゃなかったから…。
いま、それらが必要な時代になってきたのかも。
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