ココロはココロ?カラダはカラダ? | おのころ心平オフィシャルブログ「ココロとカラダの交差点」Powered by Ameba

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病とその人の背景に潜むココロとカラダの繋がりを、西洋・東洋医学・科学・物理など様々な角度より検証し病気の“本当の原因”を探ります。

おのころ心平です。

 

 

※詳しくは、コチラ

 

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ココロとカラダの関係が

なぜ、これほど

分断されてしまったのでしょう?

 

ココロはココロ、

宗教、哲学、心理学に。

 

カラダはカラダ、

医学、解剖学、生理学に・・・。

 

サイエンス

=scienceとは、

 

sciという接頭文字が

「分ける」という意味です。

 

scissors(ハサミ)

の接頭文字にも

使われている通り、

 

分けて考える、ということが、

 

科学=サイエンス

 

の宿命だったのです。

 

***

 

科学はまず

ココロとカラダを

大きく2つに分けました。

 

これはデカルトをはじめ、

近代科学の黎明期を担った人たちが、

やむなくとった方法です。

 

教会の力が圧倒的だった時代、

 

見えるモノ(カラダ)も

見えないもの(ココロとか霊)も

まとめて説明する、

統一見解を示すことは、

 

教会のパラダイム(世界観)を

根底から覆す(全面否定する)ような、

 

つまり、

 

大反旗を翻すような

非常にリスキーな挑戦でした。

 

***

 

だから、

 

「目に見えない、ココロの世界や

霊(スピリット)のことは教会が

これまで通りのルールでやってください」

 

「でも、目に見える世界においては

 

物理法則

 

というルールをつくって、

 

ちゃんと実験による

再現性を証明すれば、

 

たとえ教会の大司祭でなくとも

誰でもルールをつくれる、

という「ルール」を作りませんか?」

 

と・・・。

 

***

 

ココロとカラダを

分けて考えるのは、

 

そういう傾向を

17世紀以来の賢い人たちが

まるでトラウマのように

強迫神経的にもっている

考え方のクセ、

 

ともいえるのです。

 

近代以前の、

グノーシス主義や

ヘルメス主義などが

異端として追いやられたのも、

 

それは、

考え方のクセが

主流じゃなかったから…。

 

いま、それらが必要な時代になってきたのかも。

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