おのころ心平です。
今日、何度か紹介させて
いただいております、
世界歴代2位の長寿者、
田中かねさん。
1903(明治36)年1月2日に生まれ、
明治、
大正、
昭和、
平成、
令和と
五つの時代を経験されました。
ちなみに僕は、
明治=木(肝臓)の時代
大正=土(脾臓)の時代
昭和=火(心臓)の時代
平成=金(肺)の時代
令和=水(腎臓)の時代
と五行・五臓に照らして
位置づけていますが、
かねさん、5つの時代を
どんな思いで生きられたのでしょう。
***
かねさんが
少女時代を送っていた頃、
まだ、かの、
大隈重信さんが生きていました。
日本の政治家。
内閣総理大臣(第8・17代)、
外務大臣(第3・4・10・13・28代)、
農商務大臣(第11代)
内務大臣(第30・32代)、
枢密顧問官、貴族院議員。
早稲田大学の創設者。
官学に匹敵する高等教育機関を
育成するために力を注いだ教育者。
***
大隈重信さん自身、
1838年3月11日〈和暦:天保9年2月16日〉から
1922年〈大正11年〉1月10日、83歳まで、
当時としては、長寿を全うした人物ですが、
なんと彼は、
「人間は125歳まで生きられる!説」
と唱えた人物なのでした。
「人生125歳説」(ウィキペディアさんより)
早稲田大学の創立者である
大隈重信が唱えていた、
人間の寿命に関する見解。
「人間は本来、
125歳までの寿命を有している。
適当なる摂生をもってすれば、
この天寿をまっとうできる」。
来訪者に
「我輩は百二十五まで生きるのじゃ」
と豪語したのがその発端とも、
野口英世との雑談中に思い付いた
とも言われる。
「生理学者の説によると凡ての動物は
成熟期の五倍の生存力を持っているというてある。
そこで人間の成熟期は二十五歳というから、
この理屈から推してその五倍、
百二十五歳まで生きられる」事を根拠に提唱。
なお、大隈自身は1922年1月10日、
83歳で死去。
生前「若し吾輩にして、
此の百二十五歳定命説を理解することが、
もし今三十年早かったならば」と、
悔恨の念をもって述懐している。
ただ、朝5時起床、夜9時就寝を日課とし、
晩年は大好きであった酒や煙草を断つなど、
日々修養に努めた結果、
当時の日本人の平均寿命と比して長寿であった。
***
なるほどー。
大隈さんの目には、
現代の長寿社会は、
どう映るのでしょうか?
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