「月並みですが…」は「月の波」を意味していた! | おのころ心平オフィシャルブログ「ココロとカラダの交差点」Powered by Ameba

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病とその人の背景に潜むココロとカラダの繋がりを、西洋・東洋医学・科学・物理など様々な角度より検証し病気の“本当の原因”を探ります。

おのころ心平です。



柿食えば、

鐘が鳴るなり、

法隆寺


って、有名ですが、


よくよんだら、

なんだかへんてこな句ですよね。


これ、明治の俳人であり、

歌人であった正岡子規がつくった

句なんだそうです。


この写真、なぜか教科書の中で

独特なオーラを放っていましたよね。

     ↓


そして、


「月並みですが・・・」の

〝月並み〟


「平凡でつまらないこと」


を意味するようになったきっかけも

この、正岡子規大先生のしわざ、

なんだそうです。


これは、かなりびっくりしました。


***


俳人、正岡子規は、


それまでの、

「俳諧」から発句を独立させて、

「俳句」という呼び名を与えた

俳句の革新を成し遂げた人です。


松尾芭蕉寄りであった

江戸時代以来の


陳腐でつまらない俳句を、


「月並調」


と呼んで揶揄したのが、

今の「月並み」のきっかけ。


***


月並みは、


月次、月浪、月波とも書き、

もともとは

「月の満ち欠けとともに」、

という意味で使われていて、


転じて「毎月恒例」という意味も

持つようになったそうです。


子規先生以前は、


俳句の世界において、

「月並句合」(つきなみくあわせ)

と呼ばれる興行があったそうで、


これは、江戸の文化年間に

爆発的人気が出て以来、

明治中期まで続いたものなのだそうです。


***


もちろん、明治になって、

文明開化の音がしているにも関わらず

旧態依然として、形式張ったやり方と、

それでよしとして努力を怠る人の姿勢を、


正岡子規一派は

打破しようとしたのでしょうが、


1893年(明治26年)に起こった

この運動から、もう126年。


僕は、大きな歴史の揺り戻しが

ぐらりと起こって、

 

月並みという


言葉の意味の再評価が、

行なわれるような気がしています。


***


月並み(月波)に

生活を送ることについて、

僕は、また新しい意味で、


意味の革新を

起こして行きたいと考えています。


月とつながり、

月のリズムで、生活を営むこと。



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