忘れてしまわないための記録として。
3月中旬、痙攣を起こして意識不明になり家で倒れる。救急隊員の方の呼びかけで意識をとりもどし、一旦吐いた
あたまがグルグル?船酔い状態でめちゃくちゃ気持ち悪かった。
たまたま旦那が休みをとっていた日だったので
救急車で近くの病院へ
もし居なかったら二歳になる前の息子と家に倒れた私、どうなっていたんだろう…
脳波は異常なし、MRIの検査の結果、右前頭葉に何かがあると伝えられるが、何なのか分からないと。
大学病院への紹介状をもらい、受診したが
やっぱりMRI画像ではよくわからない、また次週どうするか話しましょうと言うことになり
再受診
はっきりとは言えないが、神経膠腫のようだ、とのこと。私は全く知らない言葉だったので
へ~と聞いていたが、病院に勤めている夫は上司からグリオーマだとしたら厄介だとだけ聞かされていたようで、診察が終わるとものすごく焦った様子ですぐ上司に電話で報告していた。
それを見て私も良くない病気になってしまったんだと実感した。
そこで初めてショックを受けた。
お昼を食べながら、お願いだから癌て言わないで、脳腫瘍て言ってと夫に話した。
このときは、癌て言われるたびにショックだった。
叔父さんが40代に癌で亡くなってるし
叔母ちゃんが再発した癌の治療中だからなんかこわかった。
でも今かんがえたら、私より夫のほうがショック受けてたんじゃないかと。
気に入った土地が見つかって手付金払って、これから家を建てようってときに…図面もできてたし楽しみだったのにね
それどころではなくなってしまった。
私は運転が禁じられてしまったし
住もうとしているところは車がないと生活できない田舎だし
術後どのくらい体が回復するか分からないし、先がよめなくなってしまった
とりあえずまた発作が起きないとも限らないので今の仕事をお休みして。
ネットで病気のことを検索するとくらーいきもちになってくる。
不安になって、でも確定ではないのにへんに心配させるのも嫌で誰にも話せなくてさみしくなって一回泣いた
もう検索しない!って決めた。
次の診察で、手術をするかしないか検討してほしいと言われ、1週間後答えを出すことになった。
皆の意見を聞いたら
全く症状がなくて発作の薬を飲んでる以外は普通だったので悩んだけど、家族からとれるうちにとっておいたほうがいいよって言われたので手術を決意。
言語の神経が右脳左脳どちらにあるか
検査入院してから
1週間後手術のため再入院。
幸い腫瘍の逆側だったので予定どおり手術決行!
予定では7~8時間だと聞かされていたけど実際は14時間かかったと聞いた。
頑張ってくださった先生方、ひたすら待っててくれた夫に本当に感謝です。
目が覚めたらICUで、夫に何か話しかけてもらった。内容は覚えていないけど、話せたことは覚えてる
あ、わたし会話できるなって思った。