”烏合” 細川内閣 | 小野公使のブログ

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以前政治問題等について吠えていた小野公使です。今度もいろいろ綴っていくつもりです。

昨日(8月9日)は「長崎原爆の日」「ソ連の対日参戦がはじまった日」だからか、その二つの歴史的出来事を強調していったが…78年前(昭和20年、皇紀2605年、西暦1945年)の事ほどではないが、30年前(平成5年、皇紀2653年、西暦1993年)も、大きな出来事がありました。

それまで38年近く続いた自民党の長期政権が、党分裂とその後の衆議院議員選挙(衆院選)の結果、下野することになり、細川護熙氏を首班とする非自民・非共産党の八党派の連立政権が発足したのです。所謂細川内閣です。

 

あの政権について功罪様々ありますが…そのことについて触れた記事を紹介します下矢印

 

 

 

 

個人的には、政治改革もいいが、(今日から見たらまだいい方だったけど)景気対策が二の次だったのが不満でした。

 

というか、細川総理就任翌日の10日(ちょうど30年前の今日)の記者会見で

「日中戦争に始まる先の戦争は私自身は侵略戦争であった間違った戦争であると認識している」

と発言した時点で、総理失格だったのかもしれません。そんな認識で「長崎原爆の日」「ソ連の対日参戦がはじまった日」に内閣総理大臣に就任し、その数日後に「終戦の日」を迎え「日本のアジアに対する加害責任」を表明する文言を挿入した辞を述べ…細川の母方の祖父・近衛文麿が支那事変(日中戦争は当時こう呼ばれていた)の事態解決とは程遠い事(当時の中華民国国民党政権を「相手にせず」としたのがその最たること)をした挙句に、対米戦争を不可避に近いところまで追い込んだ挙句に政権放棄したことを忘れたかのような感じです下矢印

 

「間違った戦争」を泥沼化させ、戦犯として裁かれたくないからと自殺した人の孫が、よくそんなことを言えたものか…大東亜戦争を戦い、靖國神社(靖国神社)に祀られている英霊を冒涜しているようで、ものすごく不快でした。

※その発言の数日前の、宮澤喜一内閣の河野洋平官房長官の談話と併せて考えると、政権交代をしてもおかしなことだけは引き継がれていると思わずにいられません下矢印

 

 

結局細川内閣は政治改革(といっても選挙区制度の変更とかくらい)だけが売りの、国民のためにならない政権でした。自身の金銭の疑惑に答えられないままの退陣…これには失望させられた方も多かったのではないだろうか?

 

そしてこういう政権の後に、やはり自民党が与党でないとだめだという声も出てくるが…細川内閣、その次の羽田孜内閣の後に、よりによってこんな無節操な内閣(村山富市内閣)も発足しました下矢印

 

 

その後は自民党がほかの党と連立しないともたないくらい情けなくなり、そしてまた政権交代(民主党政権)となり、民主党も自滅し自民党・公明党の連立政権が復活し…気づけば宮澤喜一以来の「宏池会」政権(岸田文雄内閣)になりました。

岸田内閣は国民生活そっちのけの増税路線、政府与党内の問題、問題の多い法律(その最たるはLGBT理解増進法)が成立で、国民の信をとうに失い、政権交代を求める声も出てきていますが…その受け皿が細川の日本新党や民主党のようなものでは困ります。野党の中にまともな政策を打ち出せる党があれば、自民党を割ってまともな方が新党を結成すれば、あるいは文字通り政治の素人だが愛国心に満ちた方の新党が結成されれば…そういうことが重ならないと、政権選択にならないような気がしてなりません。本当に自民党に代わる選択肢となりうる党が出てきてほしいと言いたいです。

※個人的には今の野党なら、国民民主党が玉木雄一郎代表の続投なら、期待してもいいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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