母の日企画で始まった「母になった日のお話」

母の日はとっくに過ぎましたが

まだ話は続いております。。

 

前回まではこちら

「私が母になった日の思い出 その1」

「私が母になった日の思い出 その2」

「私が母になった日の思い出 その3」

「私が母になった日の思い出 その4」

 

 

こうして、乳搾りマシーンになった私は

乳搬送人になった元夫に毎日乳を運んでもらう、という

日々を過ごすことになりました。

 

赤ちゃんは数日が峠と言われていましたが

回復の兆しがみえてきました。

もうダメかもしれない、と言われていたのを乗り越えて

最初は飲めなかったお乳も

なんとか飲んでくれるようになりました。

 

そうなったらもう、絞りまくるしかありません。

私はそんなにお乳の出まくるタイプでもなかったんですが

ともかく食べて、絞れるだけ絞りました。

面白いもので、お乳って絞るとまた作られるんですね〜〜〜。

 

つい数日前まではこんなことなかったのに

赤ちゃんを産んだ途端に、体から乳が出てくるんだからびっくりです。

人体ってほんと不思議ですね…。

 

さて人間乳搾りマシーンになって数日後

今度は抜糸をすることになりました。

 

抜糸というから、縫われているんだと思ってたんですが

なんと、お腹は、ホッチキスの針で止まっていたのです!!!

(医療用のホッチキスらしいんですが)

 

看護師さん(お医者さんだったかも)がやってきて、

ばちん、ばちん、と取ってくれたんですが

それを、銀のトレイみたいなところに載せていて

 

なんかぶっといホッチキスの針みたいですけど…と言ったら

(別に麻酔も何もかけられることもなく、病室のベッドでばちんばちんと

外されました。いま思うと、結構ホラー)

 

ああ、ホッチキスなんですよ!と

爽やかに言われました…。

なんかこう、うん、工作って感じなんだね…!

 

 

そうして、お腹の傷の上にはガーゼと、包帯ぐるぐる巻きになりは

しましたが、だいぶ動けるようになってきました。

 

そんな様子を見ていた看護師さんが、声をかけてくれました。

 

「赤ちゃん、見に行く?」

 

赤ちゃん。

え、見に行けるの…?

 

そう、もう産後1週間ほど経っていましたが

まだ私は一度も赤ちゃんに会っていなかったんです。

 

「うん、動けるようになってきてるからね。

赤ちゃんに会いに、NICUのある病院に行ってきてもらって

大丈夫ですよ」

 

もういてもたってもいられません。

許可が出た翌日、元夫とともにタクシーに乗り込み、

搬送先の病院に向かいました。

 

まだそんなに長い距離を歩けなかったので車椅子に乗せてもらって

NICUにつきました。

 

着いた先で、まず手を念入りに洗い、消毒を何度もして

靴も脱いで、全身を覆う不織布のガウンを着せられます。

さらに全身を除菌されてようやく

2つ目のドアをくぐって、NICUに入りました。

 

薄暗い病室には、たくさんの赤ちゃんベッド。

なかには、両手に乗りそうな小さな小さな未熟児ちゃんや

たくさんの管のついた赤ちゃんたち。

その間を、看護師さんたちが忙しく立ち働いています。

 

「こちらですよ」

看護師さんが案内してくれた先にいたのが

息子でした。

 

 

保育器に入って、口から管を入れられた赤ちゃん。

胸には心電図を取る電極が貼られていて

口を真一文字にして、寝ていました。

 

「手をいれて、赤ちゃんに触ってあげてください」

そう言われて、保育器の脇にある、まるい穴から

手を差し込んで、赤ちゃんに触れました。

 

柔らかくて、あたたかい

ぐったりはしているけれど

薄い皮膚を通して、それでも必死に生きようとしている

エネルギーがつたわってきました。

 

この子は、生きようとしてる。

ただシンプルに、前だけを向いているんだ、ということに

心を打たれました。

 

はじめての対面はわずかな時間でしたが

それでも心に刻み込まれるようでした。

 

胸がいっぱいになっていると、そこに

搬送先の病院のお医者さんがやってきました。

 

「お父さんとお母さんですね。このまま面接室に行ってください」

 

そう言われて通された小部屋で

いきなり切り出された言葉は

 

私たちを、再び打ちのめすものでした。