オーバーエネルギーという言葉を初めて知ったのはおよそ3年前。

 

強すぎる思い込み=オーバーエネルギー。

これを持っていると生きにくさに直結する。

私は本当に本当にオーバーエネルギーにまみれていた。

オーバーエネルギーの人生でしたと言い切ってしまっても良い。

 

強すぎる「正義感」

強すぎる「責任感」

「わかってほしい」という思い

「何者かにならなくてはならない」という思い

「だまされたくない」という思い

などなど。

まだまだ沢山あるし、調整できてないものもあるし、自覚できてないものもある。

こだわりの強い私の事なので、すべてのオーバーエネルギーを自覚するだけでも一生では終わらないと思う。

 

オーバーエネルギーの状態だと、中庸に戻そうとする働きが生じる。

出る杭は打たれるじゃないけれど、なぜかは知らんがそういう法則がある。

 

例えば「分かってほしい」が強いと他人に「分かってもらえない」というイベントが発生する。

実例としては、夫が私にキネシオロジーを勧めてきたくせに、私がキネシオロジーの話をすると否定的な言い方をしてくる。

という事があった。

いや、お前が勧めたんやろがい!となる。

本当に大事なものを否定されると人は逆上します。

私はあんまり泣く方ではないですが、この時ばかりは涙を抑えられなかった。

この出来事の数時間後「夫が悪いわけではなく、私を中庸にするために言わされたのだな」と気づいた。

オーバーエネルギーの法則を知らなければこの考えは出てこなかったし、キネシオロジーを使って仕事をしたいと思っている私からすれば、なんなら離婚案件だ。

 

オーバーエネルギー強すぎ問題。

中庸までの距離があるので、必然的に強めの打撃がくる。

これも段階的に来る事が多い。

はじめはジャブ。これで中庸に戻らなければ、次はちょっと強め。

それでも中庸に戻らなければ、もっと強いのが。

中庸になるまで延々と続く。これでもか、これでもかと強度を増しながら続く。

中庸にならなければ一生でも続く。

 

打たれ続けて「ああ、こんなものかー」と自覚し中庸に戻れば良いが、本人がなぜわからないけれど、転職を繰り返す・離婚再婚を繰り返す。など無自覚のまま苦しいイベントの渦中に居続けるというのは結構しんどい事だと思う。

「なぜ私ばかりがこんな目に遭うのか」と人生を呪って生きるのはとてもつらい。

だから現状がなぜこうなのか、気づく事はとても大事だ。

※少し補足するが、不遇なイベントが全てオーバーエネルギーのせいというわけではない。

原因はそれ以外に、発達を進めるために引き起こされるもの・今生で学習したもので今は不要のものが邪魔をしている・妬みや呪い・憑依されている場合・信念体系・過去世からくるもの、など結構多岐にわたる。

 

ただこの法則に気づけただけでも、めちゃめちゃ人生が楽になる。

不遇のイベントに対する概念がガラっと変わる。

「なんでこんな目に」⇒「いや、私のオーバーエネルギーから引き起こされているかも」

それだけで人生自体が前向きに捉えられる。

 

具体的には何のオーバーエネルギーがあるのか、それに対して中庸はどこか。

調整の必要がない場合もある。実際私のオーバーエネルギーも気づきのみで中庸になったものが幾つもある。

件の「分かってほしい」はセッションで出たので調整してもらった。

「分かってほしい」に対して、目標を定める。

「分かってもらえなくても良い」になった。いいね!これが出来たらすごく楽になる!

新たに上記価値観を獲得して私はこの思いこみから自由になり、中庸を手に入れた!

 

そして、夫はキネシオロジーについて否定的な言葉を発さなくなった。

 

中庸になる事で本来の自分に近づく。

本来の自分はとても楽な状態だ。苦しいイベントが減るわけだから必然的にそうなる。

そして楽に生きる事は怠慢ではない。

 

思い込みという鎖を一つ一つ丁寧ほどいて、ありのままの自分を歓迎したい。

道のりはまだまだ。

未だがんじがらめの自分にエールを送る。