まだまだ普通の生活に戻れない、がんぱっぺでございます…。




あの震災直後、体育館に避難したときは、

本当に生きているということだけで精一杯だったのに、

まさか、こんな風に部屋がもてる生活が出来るとは

思いませんでしたね。






体育館に着いたとき、柔道の畳と

ストーブの側の位置をとるのに競争でした。


ここからが体育館暮らしのスタートとなりました。




体育館にきた200名近い避難者は

各グループに分けられました。




私達グループでは、お年寄りと子供達には畳のある場所で寝かせ、

それ以外はみんな、毛布を1枚下に敷き、ジャンパーを何枚も重ねて

毛布1枚をかけ、寒い一夜を明かしました。




次の日の配給では、30人を超えるグループなのに、

おにぎりを5、6個と水も2、3本。

板付きのかまぼこを丸ごととチーカマでした。


おにぎりと水はやはり、お年寄りと子供達優先にし、

私達はひたすら我慢しました。






これが本当に生きているということなのか…。





食べ物もなく、飲む水さえない…。


板つきのかまぼこを丸ごと渡されて、

空腹を満たすのに丸かじりする…。





そして、大きな余震も続き、体育館中に悲鳴があがる…。




それが次の日も次の日も…。





お風呂にも入れない、トイレも水がでないので、

小の方は流さずひたすら貯めていく…。




そして、原子力の爆発…。




体育館にいた避難者は一斉に動き出しました。

他県への避難を求めて…。




私達も関東にある親戚の家を訪ね、避難しました。




でも、すぐに体育館へもどってきました。




体育館にいないと、全くといっていいほど情報が得られないからです…。




これから生きていくための情報を集めなければ、

どこへ避難したとしても、前には進めないような気がしたから…。







そして、いろいろあっての2ヶ月ちょっとで

今の場所へと引っ越しが決まったわけです…。



そのいろいろとは、きっと、いろいろありすぎて

書ききれなことばかりだと思いますので、

おいおい書いていこうかと思っています。




たぶん、またこれから色々あるだろうと思いますが、

やっぱり、生きている限り、

前を向き、

目の前にあることから目をそむけずに

ひたすら頑張るしかないのだと思う。







今日の写真はお友達から届いた、

トイレグッズです(^v^)



なんか、生活してる~って感じがして、

すごく嬉しかったです(笑)



だって、仮設トイレにはこんなこと出来ないもんね~^m^



ここは福島県いわき市です。-201105162018000.jpg