9971: 思い出の海外訪問地(その6)トルコ編 | 温故痴人のブログ

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兼高かおる

1959年から1990年まで『兼高かおる世界の旅』(TBS系)でナレーター、ディレクター兼プロデューサーを行う。取材国は約150か国、距離にして地球を180周もしたことになる。

 

まだまだ続きます。

 

今回の

トルコツアー参加者は総勢25人。

 

阪急トラピックスの添乗員曰く

「アンカラから時計回りのツアーは珍しい」という。

 

「通常はトロイ遺跡から始まり、

パムッカレ、カッパドキア、

最後にイスタンブールと徐々に感激度を増してゆくのが好ましい」との事。

 

我々は、中東のカタールで乗り継ぎ、

最初の観光地はサッカー日本がロスタイムに同点にされ、

ワールドカップ出場が夢物語となった「ドーハの悲劇」の会場

「アル・アハリスタジアム」見学。

 

添乗員:シルビーの旅日記参照:

 

 

 

 

 

 

次は「ラクダの市場」

 

荷物搬送などに売買されていると思っていたが、

ここのラクダは食用で5万円/頭~との事。

 

 

 

家で祝い事などのときに購入するそうである。

 

牛肉や豚肉を食べる習慣のある我々も

殆どの者は屠殺される現場は見たことがないが・・・。

 

近寄ってきたラクダの目は実に可愛い。

 

犬や猫のような愛嬌もある。

 

競争用であれば2000万円/頭と財産として

大切にされるものに比べれば食用ラクダは哀れなもの。

 

 

 

羊や牛も同じ場所にあったように思われるが、

豚は見かけなかった。

 

イスラムの教えか?

動物の糞特有の臭気もあり、

ラクダでなければ立ち寄りたくないところである。

 

次に、

トルコに入って、

最初の観光地は「ハットウシャシュ大遺跡」

 

世界史上、

初めて製鉄技術を持ち、鉄器を使ったとされるヒッタイト王国。

 

その首都が、

ハットウシャシュ(ボアズカレ、ボガズキョイ)だ。

 

今日のホテルは

「クリスタル・カイマクルホテル&スパ」夕食もほどほどに待望の

OP「ベリーダンス」のショーへ出発。

我々5人以外に

単独参加の親父さんが一人加わった。

 

 

この場所は、

カッパドキア内の洞窟レストランがその会場。

 

怪しげな腰の振り方に目が奪われた。

 

最初の観光地は

カッパドキア、カイマクルの地下都市観光。

 

 

地下都市への入口は狭く、

大勢の観光客は一度に入られない。

 

地下鉄の

ラッシュアワーのような混雑振りで入場制限されていた。

 

果たして、

この地下空間が迫害からの防衛機能があったか

どうか疑問を持った。

狸を穴から追い出すのに燻し上げがあるのとよく似ているので。

 

きのこ岩

カッパドキアの象徴ともいうべきキノコ岩

奇岩群は、数億年前に起きたエルジェス山とハッサン山の噴火で

何層にも積み重なり堆積された、

火山灰と溶岩が何万年もかかって風雨に侵食されたもので、

地層の硬度が異なることから侵食の度合いが違うため、軟らかい火山灰は侵食が早く、

溶岩がその上に残ってキノコ岩ができ、

世界で唯一の不思議な奇岩地帯が造りだされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

次の目的地は

カッパドキアと並ぶトルコ観光地である

石灰棚パムッカレである。

見た目のような砂地ではなく、コンクリートの上を歩くような感覚だった。

 

 

 

 

 

 

 

トロイの遺跡

聞いていたのと違い、何ともちんけなトロイの木馬であった。

 

 

 

「ブルーモスク」

トルコのイスタンブールを代表するモスクで、

世界文化遺産である

イスタンブールの歴史地区の歴史的建造物群のひとつ。

 

「アヤソフィア」

イスタンブールを象徴する

モスク「アヤソフィア」現在は博物館という位置づけになっているけど、

元は東ローマ帝国時代に建設されたキリスト教の大聖堂。

 

 

 

 

 

 

鯖サンド

イスタンブールの名物料理の一つにサバサンドがある。

 

ガラタ橋のたもと、金角湾に浮かぶ船の上で

営業しているサンドイッチ屋で、それは~それは多くの観光客が訪れていた。

 

 

 

旅行の期間中に発生した大事件】

1リビアのカダフィ大佐殺害 反対派が全土制圧

 AP通信によると、リビアの反カダフィ派「国民評議会」ナンバー2のジブリル氏は20日、最高指導者だったカダフィ大佐が殺害されたと述べた。同通信などによると、大佐出身地の中部シルト付近で拘束され、その際の負傷が原因で死亡したという。遺体は西部ミスラタに搬送された。中東の衛星テレビ、アルジャジーラによると、最後の拠点だったシルトは同日陥落、評議会部隊はリビア全土を制圧した。リビアでの大規模デモ開始から約8カ月を経て、約42年間にわたった独裁体制は完全に幕を閉じることになる。2011/10/20 23:49 【共同通信】

 

2:2011年トルコ東部ワン地震

2011年10月23日13時40分ごろ、トルコ東部のイラン国境に近いワン県の県都ワン近郊で発生したマグニチュード - 7.2とされる地震である。発生当初、トルコのカンディルリ天文台地震観測所(トルコ語)は500人から1000人の死者が出る可能性があるとの見解を発表した。トルコのベシル・アタライ(英語、トルコ語)副首相によれば、建物約45棟が倒壊した。ワン近郊のエルジシュ(英語)では、学生寮を含む約30棟が崩れ落ち、近隣住民が手作業でがれきを除く作業をしている。エルドアン首相は、同日予定を変更して被災地に向かうことを決め、軍を動員して救援活動を指示した。また、ワン空港が大きな被害を受けた。被災地域に於ける通信状態は悪化し、停電も発生している。

 

3:タイの大洪水

被害額が総額1兆バーツ(約2兆5000億円)に上るとの見通しを、タイ商工会議所大学がまとめた。地元紙が9日伝えた。被害は農業や製造業など広範な分野に及んでおり、1997年のアジア通貨危機以来の深刻な打撃という。同大は一時解雇を含め、失業者が100万人に達する恐れもあると指摘した。一方、洪水の影響で中断していたタイ国会は同日、再開され、政府予算案の審議が行われ、洪水被害を食い止められないインラック政権の対応に野党側から厳しい批判が相次いだ。最近の世論調査では、インラック首相の洪水への取り組みを不満とする声が半数を占めており、政権は窮地に立たされつつある。(2011年11月9日20時56分  読売新聞)

 

 

 

 

海外旅行遍歴

1「オーストラリア」1993.10.20~26

2「香港・マカオ」1994.06.19~22

3「グアム」1996.06.28~07.01

4「台湾」1998.07.04~07

5「バリ島」2000.06.28~07.02

6「タイ」2002.05.10~15

7「サイパン」2004.07.03~07.07

8「シンガポール・タイ」2004.11.17~21

9「ベトナム」2007.10.07~12

10「ボルネオ・マレーシア」2009.10.06~10

11「オーストラリア」2010.06.13~18

 

 

今回の報告はここから

12「トルコ」2011.10.16~24

 

 

次回報告予定

13「カンボジア」2012.09.14~18

 

 

 

 

2024.06.09  NO:9971

 

 

【参考引用】

兼高かおる

1959年から1990年まで『兼高かおる世界の旅』(TBS系)でナレーター、ディレクター兼プロデューサーを行う。取材国は約150か国、距離にして地球を180周もしたことになる。