コロナ騒動も少し落ち着いてきた気がします。
人ごみの中では
マスクは欠かしませんが、
家族間ではもうマスクのお世話になることは無くなりました。
今回、1か月間も
昏睡状態で「三途の川を見た」という患者の記事に
思い当たることがあります。
私の弟も
コロナ流行の初期の時期に感染しました。
嫁が病院を探し回ったのですが、
見つからず、10か所ぐらいの病院を探し回った挙句、
ようやく入院が出来ましたが
その時にはもう虫の息だったようです。
そこの看護師が
嘗ての教え子で、あとからの話ですが、
Drから「遺体袋を用意しておくように」と指示されたくらいの
症状だったようです。
酸素吸入で
どうにか息はしていたようですが、
酸素の血中濃度も90%を切り
息が出来ないような状態を乗り越えて、
このように復帰してくれました。
彼も三途の川を見たことでしょう。
家族も身内も見舞いに行けず
静観していた状態を乗り越えて
今は元気になり、
夫婦で旅行三昧の遠出しています。
まぁ~、
生きている間の楽しみは今しか出来ません。
私も心臓手術で、
術後ICUに収容されましたが、
麻酔が覚めて暫くしてから病室の天井の警報ランプが廻りました。
看護師が「心停止」と言いながら
走ってきたところで記憶が無くなりました。
10分間ほど
心臓が止まったようです。
何本かのステロイドを投与して
心臓が再鼓動したのでしょう。
「10分ほど心臓が止まっていたよ」とは看護師の話でした。
この話は前にも触れていますが、
動くべき心臓が先に停まれば、
私の経験では痛みも苦しみもありません。
心臓が動きたいのに血液が来ない「心筋梗塞」などは
それこそのた打ち回る苦しみです。
親父がそうでした。
それこそ僅か10分足らずで
虹の橋を渡ってしまいました。
最後の言葉は
「俺の人生でこれほどの苦しみは初めてや」が
臨終の言葉でした。
私は警告灯が廻って、
看護師が走り回っていることは記憶にあります。
脳の中の血管に
まだ酸素たっぷりな血液があったのでしょう。
その間、
脳の働きが記憶として残されていたのでしょう。
先に心臓停止の
警報が鳴っているのでそのはずです。
しかし、
私は三途の川を見ていませんし、
記憶にもありません。
そこにたどり着く前に
蘇生さされたのかも知れません。
いずれ一方通行を走る身です。
貴重な経験として再度触れておきたい。
どうですか、
皆さんも一度経験してみますか・・・・・?
帰れることは保証できませんが
2024.05.27 NO:9958
【参考引用】
“1か月半の昏睡”と8か月の入院で「三途の川を見た」。コロナ重症化でエクモに繋がれ生死の境をさまよった43歳男性が告白
ライフ
2024年05月21日
「昏睡状態から起きたら右側に嫁がいて、左側に親父がいました。最初、なぜこうなってるのか理解ができませんでした。自分という存在の認識もなかなかできず混乱状態でした。少ししたらパニックも治ってきて、そういえば、俺はコロナに罹って入院してたんだと。まさか1か月半も意識を失ってたとは思いませんでした」
意識を失っている間、周囲や家族はひとみさんが助からないものだと思い、葬式の準備なども進めていたようだ。妻の友達は半分冗談だが、新しいパートナーの斡旋なども進めていたという。意識を取り戻したことにより、全て白紙に戻ったが、ひとみさんには新たな苦悩が襲いかかった。
「真っ白い部屋で動けず、スマホもなく、栄養は点滴で摂取、聴こえるのは医療機器の電子音のみ。時間や季節も何もわからず、1人でただ天井を見るだけの日々。本当に退院できるのか、社会復帰できるのかなど考えていたら、虚無感や絶望感に襲われました。俺はコロナで死んでたほうが良かったのではないかと思うくらいまで、精神を病んでしまいました。何度も看護師に俺を殺してくれと懇願したのをよく覚えています」