歌声喫茶 | 温故痴人のブログ

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今日の帰り、車の中で、
歌声喫茶」が復活してきたとの話題がラジオから流れてきました。

歌声喫茶」と言えば、私にも懐かしい思い出があります。
それは、昭和40年代初め、まだ若かりし頃の思い出です。

当時は、
仕事が終われば、殆どと言って良いくらい、毎日大人の付き合いがありました。

ビールから始まり、二次会は日本酒、三次会は洋酒でと・・・。
仕上げは、歌声喫茶で大声を上げてアルコールを発散するのを常としていました。

今では、こんな付き合いも殆ど見られなくなったようですが、
当時は先輩の意向に逆らえません。
勿論、「逆らう意思等は全くなく、進んでお付き合いを」でした。

その、三次会の洋酒は、
梅田の阪急東商店街通りにあった「コンパ」と言う大衆スタンドバー?でした。
安いのにも関わらず、私の給料はここで底を付いてように記憶しています。

仕上げは、ここからそう遠くない歌声喫茶「こだま」でした。
ネオンライトを浴びながら、
トントンと地下に降りていくと
簡単なドリンクと手のひらに乗りそうな小さな歌詞本が配布されました。

その場を仕切る先達というのか?リーダーが次々と歌い始めます。
喫茶に集まったものが、その歌声に続き大合唱するのです。

その歌は、ジャズやニューミュージック、演歌などではなく、
赤とんぼ、夏の思い出、赤いヤッケ、荒城の月」などの童謡、唱歌ばかりでした。

一緒に歌うこの連帯感が何とも言えない盛り上がりを見せました。
これは、自分勝手に歌っているカラオケでは感じられない独特のムードです。

そう言えば、ジュークボックスはあったと思いますが、
まだ、カラオケは登場していなかったと思います。

今日の放送では、道頓堀のほうに出来ているようなので、
半世紀前の若かりし頃に戻って出かけてみるのも面白いのかも・・・?

しかし、あつかましさがタップリの年代でも、少し照れくささがあります。

2013.08.19 NO:321


*引用
こだまで配布されていた歌詞本と、その場はこんな雰囲気でした。$温故痴人のブログ
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