「貴方の一番遠い記憶は?」と言うお題がありました。
それを聞きながら、
「私の一番小さなの時の記憶は・・・」と考えていたら、眠れなくなりました。
そう言えば、
和歌山県のある村の、
海が真下に見える崖の上に建っている小さな家で生まれました。
風がまともに吹き上げてくるような場所なので、
壁土の保護に板を貼り付けていましたが、ある時に台風がその家に直撃しました。
上から降る雨ならば問題ないのですが、
下から吹き上げてくる雨・風にその板壁も耐えられませんでした。
程よく雨が沁みこんだ後、
壁土が「ドサー」と一度に落ちてしまい、
竹の格子から外が丸見えになっていました。
勿論、土間は泥の海です。
親父やお袋の呆然とした顔が浮かびます。
この家で過ごしたのは、
私が3歳までですから、これが一番古い記憶なのでしょう。
今でも鮮明にその景色が残されています。
妹達には、このことの記憶は全くありません。
当然、この家では生まれていませんから・・・当たり前ですが。
また、他にも怖い思い出が鮮明に残っています。
親父が田舎で運送屋をしていたので、
自動車(三輪ミゼット?)に良く載せられてあちこち行きました
この当時の我家の自動車は、
マツダの三輪オートだったと思います。
荷物を積んで重心が高ければ、
急ハンドルで直ぐ横転する車でした。
セルモーターはありません。
当時のエンジンは、もっぱらエンジン直結のキックで始動します。
逆転防止機構がついていないため
下手をすれば、そのキックが戻って来て足首に大きな怪我をさせます。
「ケッチンを食らった」と言う言葉を良く使っていました。
「反抗された、肘鉄を食らった」等の意味なのでしょう?
ご他聞に漏れず、親父も踵に大きな傷が残っていました。
この傷のある者は、古い車に乗っていた証拠で勲章?
これでも掛からない場合は、
前からクランクを突っ込んで手回し始動していた記憶があります。
ギヤーチェンジは、
股の間にH字型の変速ボックスがあって、
レバー位置をH型になぞって変速していました。
また、ハンドルは水牛の角みたいな一本ハンドルです。
ドアーも今のような密着型で無く、
ただシートで止めていたため、
下のほうからシートが捲れ上がり、風も入ってきます。
運転席は馬の鞍の様な格好でした。
助手席は、今の折りたたみ椅子です。
邪魔になるときは折りたたんで置きます。
今から考えれば
シートベルトやエアーバックと言うような安全配慮は全くありません。
これでも当時の新車です。
ウインカーは、朝鮮朝顔か、ペリカンの口を左右に取り付けたような形でした。
これも、手動で上げていたのかどうかの記憶が定かではありませんが・・・
あるとき、助手席に乗せられて走っていました。
折りたたみ椅子に「チョコン」と座って、
移り変わっていく景色を楽しんでいたのでしょう。
突然、目の前に黒い大きな影が。
カーブでめったに出逢わない対向車が飛び出してきたのです。
「ギギギー」と、慌てて急ブレーキが掛けられました。
その反動に子供が堪えられるはずがありません。
ドアーのシートカバーから「コロコロ」と外に放り出されてしまいました。
親父は「やってしまった」と最悪のことを考えたといっていました。
対向車もその異常に気が付いて
「引いてしまったか」と心配して飛び降りてきました。
心配している大人たちを尻目に、
車同士の間に転げ落ちた私は、
泣く事も無く「キョトン」とした姿で座っていました。
きっと柔道の受身のように上手く転がったのでしょう。
擦り傷も無く、痛みさも覚えていません。
しかし、この時は流石に怖かったのでしょう。
記憶も鮮明です。
周辺の道路のことも、左カーブで落っこちたことも、泣かなかったことも・・・・。
改めて当時のことが思い出されます。
それは、今から60年以上も昔のことです。
この当時の車をネットで調べてみましたが、
股の間に挟んだH型変速機も一本ハンドルもペリカン口ウインカーも
シートのドアーも見つけられませんでした。
その後、アルバムを探してみれば、
そのイメージの写真が出てきました。
まともなドアーが無いのがわかるでしょう。
この写真が、当時の車で真ん中が私です。
まあ~、
よく生き延びてこの歳を迎えたものだと神様に感謝です。
貴方も、遠い昔のことを思い出してみませんか?
2013.05.31 NO236
