仏教はいくつもの宗派などありますが、いわゆる大乗仏教や密教は釈迦直説のものではない、というのが定説です。
大乗仏典や密教教典などは釈迦の直説ではなく、偽経とまで言われることもあります。
これは釈迦が言ったこと、これは釈迦が言ったことではない、ということにこだわる人達もいます。
学者や学僧にとっては、それは重要なことです。それを明らかにしていくことが、学者達にとっては大切ですから。
しかし意識の覚醒や悟りなどにおいて、それはどうでもいいとまでは言わなくても、最重要事項ではないと私は考えます。
釈迦直説の経典でなくても、その教えで救われる人、目覚める人などいるでしょう。
その人が釈迦直説とされる経典の教えが全く響かず、役に立たないということもあり得ます。
そういう人にとっては、釈迦が直接説いたとされる教えを忠実に残したものよりも、後世の人達が残したものの方が目覚めの役に立ったということになります。
そもそも釈迦直説の教えが忠実に残っているとされる、阿含経や南伝大蔵経にしろ、厳密に言えば釈迦直説ではなく、釈迦入滅後に弟子達が集まって議論した上で編纂されています。
ですから釈迦がダイレクトに、教えを残したということはありません。
どんなに優秀な弟子達が、記憶を元に釈迦の教えを再現しようとしても、どうしても限界があり、それが後世に伝わるにつれ、伝言ゲームのごとくズレていってしまうのは避けられないと私は考えます。
そういったことからも、これは釈迦が説いたこと、ということにこだわったり、経典を信じ込むことよりも、自分にとって役だったか、目覚めのきっかけになったのか、ということがより大切なことであると私は思います。
経典の説いていることを一言一句違えないようにするという、経典原理主義のような人もいれば、2500年前に説かれたことを、そのまま鵜呑みにする必要はない、という主張の人がいます。
それでいうと私は間違いなく後者の立場です。
ここまで書いてきて思い出したことがあります。
もう10年以上前のことですが、職場で休憩時間中に控え室にあるテレビを見ていました。
その時は、タイだったかスリランカだったか、具体的な国名は忘れましたが、テーラヴァーダ、上座部仏教の僧侶達の様子が放送されていました。
そこでは僧侶達がほとんど運動らしい運動をせず、寄進された食物などをいただくばかりで、皆太ってしまい深刻な肥満を招いてしまいました。
なぜ僧侶達が運動をしていなかったかというと、経典に出家僧は運動をしてはいけない、という戒律があり、それによって僧侶達は運動をしていませんでした。
個人的には余暇としての運動をしてはいけない、ということだとその時思ったし、そもそも2500年前の僧侶達は、托鉢で長時間歩いていたので、運動不足になることはなかったはずです。
そして托鉢で常に食べ物を十分に得られる時ばかりとは限らず、その当時の僧侶が肥満状態に陥るとは考え難いです。
釈迦の時代と現代とでは様々な条件が違うのに、経典に書かれているかということで、当時と同じようにしようとすることに無理があります。
テレビ番組では、僧侶達の肥満が深刻なので、外部から運動のトレーナーを招いて運動不足解消に努めていると放映されていました。
10年以上も前のことなので、今はどうなっているかわかりませんが、そのテレビを見て、経典に書かれているから、戒律ではこうあるからと、条件を無視して盲目的に信じ込むことの弊害を痛感しました。
偉大なグルがこういったから、経典にこう書かれているから、ということよりも、自分自身にとって必要なことは何か?ということを考え実践することが最重要であると私は思います。
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