数日前に様々な悟り体験が紹介されている本を読みまして、それは主に禅の僧侶のものでしたが、多くに共通したのは、一度覚醒体験、最近ではよく一瞥体験とも言われますが、それが起こってもしばらくすると消えてしまったり、指導者にそれはまだ途上と指摘され、次の段階の体験がしばらくして起こるということでした。
最初の体験では多くの人が歓喜に打ち震え、「自分は悟った、見性した!」と興奮状態にあることが多く、それがしばらくすると消えてしまったり、あれは一体何だったのか?となるケースが多いです。
私も何年も前に、最初の悟り体験といえるものが起こり、それはエネルギーに満たされ、怖いものなしという状態になりましたが、数日間でそれは消えてしまいました。
それから数年後、集中して瞑想に耽った時がありましたが、その時には光に包まれ、全てが愛であるというような心境に到りました。
その時は自分としてはまさしく見性体験というものでしたが、人とふれあううちにそれも弱まってしまい、知人から「ずっと瞑想して色々な体験が起こり、大きな変化があったと言っているけど、とてもそうは見えない」と言われてしまいました。
その時にはその言葉を受け入れがたかったですが、今では理解できます。
今現在はダイナミックな体験もなく、静かなものですが安定しており、人と接しても著しく状態が落下することもなくなってきました。
覚醒体験が起こったという自覚があっても、それはまだ最初の一歩にすぎず、まだ先があることも多いです。
見性体験があったとしても、まだ途中ではないかという確認は大事です。