ひとり在ること | 恩寵と共にある

恩寵と共にある

覚醒や目覚め、恩寵について分かち合う場としていきたいです。

 

 

質問者 ヴィチャーラ(真我探究)のためにはひとりになることが必要なのでしょうか?

 

 

マハルシ 孤独はいたるところに在る。個人はつねにひとり在る。

 

あなたはそれをあなたの外側にではなく、内側に見いださなければならない。

 

ひとり在ることは、人の心のなかに在る。

 

世間の雑踏のなかに在りながら、人は静寂な心を保っているかもしれない。

そのような人はただひとり在る。

 

森林深くに暮らしながら、心を制御できない人もいるかもしれない。

 

そのような人はひとり在るとは言えない。

 

ひとり在ることとは、心の在りようである。

 

たとえどこにいようと、欲望にかられた人はひとりで在ることができない。

 

その反対に、無欲の人はいつでもただひとり在る。

 

 

質問者 ということは仕事に従事しながらも欲望に触れることなく、ただひとり在ることもできるということなのですね?

 

 

マハルシ そうだ。執着心とともになされた仕事は足かせとなる。

 

その反対に、執着心なしになされた仕事が行為者を束縛することはない。

 

このような仕事をする人は、たとえ仕事の最中にあってもただひとり在る。

 

 

「あるがままに ラマナ・マハルシの教え」より

 

 

ラマナ・マハルシはずっとアルナチャーラ山にいましたが、真我実現のために必ずしも世間を離れ隠遁するようにとは言っていませんでした。

 

 

マハルシの弟子で、指導者としても有名なプンジャジにマハルシは、ずっとマハルシの側にいたい、というプンジャジに対して、世間に戻って活動するように勧めています。

 

 

環境を整えることも大事ですが、それよりも自らの心の在りようが最も大切なことです。

 

 

雑踏の中に在りながら、仕事をしながらひとり在ることは容易ではありませんが、不可能ではないということです。

 

 

できるだけ意識を内側に向け、想念がでてきたら「私は誰か?」と問い続ける。それによって想念の源まで深く潜っていくことを、マハルシは提唱しています。

 

 

環境を整えた方が深く潜りやすいですが、そればかりに従事して全然潜らないよりは、大変でありながらも潜っていき真我探究する方がいいです。

 

 

 

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第四回目を迎える「ラマナ・サットサンリアル会」今回は、たた独り(静かに)在ると同行二人は同じというテーマで、11月3日(祝)に開催されます。

 

 

今回のメインテーマは、「ただ独り(静かに)在る」&「同行二人」のテーマで、「真我実現」へのアプローチをラマナのお言葉を基に、皆さんでアプローチしたいと思います。

 

 

ただ独り在ることと、同行二人というのは相矛盾するようですが、非二元においては何ら矛盾することはありません。

 

 

これは真我探求と信愛が、根底では同じということです。

 

 

このことについて、シリウスさんと私とでお話と瞑想をしていきます。

 

 

一人でも多くの方々の参加をお待ちしております。

 

 

◎ 日時  11月3日(祝) 14時~16時

 

 

◎ 場所  都内  申し込みがあった方に具体的な場所をお知らせします。

 

◎ 参加費  ドネーション制  お気持ちをお納めください。

 

 

オンライン参加の方は、zoomの招待状を開始の数日前にお知らせします。

 

 

参加希望される方は、リアル、オンラインに関わらずお問い合わせ/お申し込みフォームよりご連絡ください。