瞑想会などで、よく初心者の方が「雑念がいっぱい出てきて、瞑想ができていませんでした」といったことを言うことがあります。
雑念、想念が出てくるのは当たり前で、一切出ないようにしようとすると、逆に瞑想になりません。
大切なことは想念が一切出てこないことではなく、出てきてもそれにとらわれない、巻き込まれることなくたた眺めている。気づいていることです。
想念に気づいてさえいれば、それはやがて去って行く、消えていくものです。
そして想念の背景に、想念に汚されることのない、本質としての私が在ります。
それは誰にでも在るものですが、想念が自分だと錯覚してしまい、そのことに気づけないのです。
私は今でも瞑想中に想念が出てきますが、想念が出ているにも関わらず「私は在る」は確固たるものがあり、そのことに対して揺らぎはありません。
私も多くの人に指導を受けてきましたが、信頼できる方々は想念が出てくることは当たり前で、それがあろうがあるまいが「私は在る」ということは揺るぎない、といったことを説いていました。
今では私もそれはその通りであると確信しています。
逆に自分は想念など出てこない、というようなことを言っている指導者は、マウントを取って接してきて、人間性に未熟さが今から思えば感じさせられる人達で、そのような人達とは自然に縁が切れていきました。
どちらの指導者が優れているということではなく、私には想念が出てこようとも「私は在る」と言っている人達の方が信頼できます。
それはともかく、瞑想中に生じる雑念、想念を気にすることなく、その背景にある本質を理解することが大切です。
動画ではそれらのことについて、より詳しく語っています。
