瞑想会や個人レッスンで、瞑想のガイドをしていると、瞑想中に生じる心地よさ、至福にしばらく浸っている、という人がいます。
これは瞑想を始めたばかりの人にとっては、瞑想を継続していく励みになるでしょう。
ですがいつまでもそこに止まっていたら、そこで頭打ちです。
偽りではない、本来の自分は心地よさや至福を超えています。
スピリチュアルや瞑想の指導者で、至福体験についてばかり語る人がいるとするならば、その人は途上の状態を吹聴していることになります。
ヨガの指導者で、至福のことをやたらと語っている人がかつていました。
その人は優れたヨーギーであり、カリスマ性もある人で、そこそこ人気もありました。
その指導者のところに人が集まるのは理解できましたが、やたらと崇拝する人もいたのには、そこまですることはないのに、と余計なことですが、思ったりもしました。
瞑想やスピリチュアルの実践によって生じる心地よさ、静けさ、至福は日常ではそうは生じないもので、それにとらわれてしまうのもわかります。かつては私もそうでした。
しかしそれは迷妄から目覚めて、本来の自分に戻っていくことには、何ら関係がありません。
至福体験について語る指導者のところに集う人たちを見て、「ヨガを教わるにはいいけれども、迷妄からの目覚めは起きないだろうなあ」と感じたものでした。
それはもう10年以上前のことなので、その指導者も今では至福については語っていないかもしれませんし、そもそもそこに集う人たちは、迷妄からの脱却を目指していたのではないかもしれません。
まあどうであろうとそれはそれで良いのですが。
それはともかく、私が瞑想のガイドをする時には、至福体験について積極的に語ることはありません。そこに止まっていても、また別の迷妄、マーヤーを生み出すだけだからです。
それよりも瞑想によって、意識が鮮明であること、迷妄から目覚めていることの方が、はるかに大切なことである、そう私は感じています。
そんなわけで、瞑想会が7月4日、5日、25日に開催されます。至福を超えた瞑想をされたい方、どうぞご参加ください。
メールフォームよりご連絡お願いします。